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泣いて、喚いて、鼻水つけて【チャペル】

《はじめに》

キリスト教会の牧師が大学のチャペルや幼稚園で話している2000字前後の短い聖書のメッセージです。購入しなくても全文読めます。

《聖 書》 マルコによる福音書10:13〜16

日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、聖書箇所のみ記載しています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

《メッセージ》 「泣いて、喚いて、鼻水つけて」

 キリスト教会では、毎年6月の第二日曜日に「花の日子どもの日」という特別な祝日を設けています。名前のとおり、子どもたちの成長を祝って、子どもたち中心のプログラムが行われる日で、各々の家から持ち寄った花を教会に飾り、礼拝後、子どもたちと一緒に病院や施設へ花束をプレゼントしに行きます。

 残念ながら、去年と今年は感染症の流行により、子どもたちが教会に集まれなかったり、病院や施設へ行けなかったところがほとんどでした。その代わり、子どもたちを祝福したイエス様の話が語られて、その日を再現するように、一人一人の頭に手を置いて、あるいは、配信を見ている家庭に向けて、祝福を祈った教会が多かったと思います。

 でも、毎年この時期、子どもを抱き上げたイエス様の話を聞く度に、ちょっと不思議に思うんです。「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った」……これを聞いて、何でイエス様の弟子たちは、子どもを連れてきた人々を叱ったのか、気にならないでしょうか?

 イエス様の話を聞くために、たくさんの人が集まっているところへ、子どもみたいなうるさい存在を連れてくるなんて、非常識だと思ったのか? でも、かつてのユダヤ社会では、親が子を祝福してもらうため、有名な先生のもとへ連れてくることは、決して珍しくありませんでした。むしろ、その先生を偉大だと思っているしるしでした。

 実際、イエス様のもとに連れてこられた子どもたちは、一人二人ではなく、たくさんいたことが想像されます。非常識な大人の行為ではなく、当たり前に、みんなが自分の子どもを連れてきた。そんな中、子どもたちを邪険にしたら、かえって評判を下げそうですよね? それなのに、なぜ弟子たちは彼らを叱ってしまったのか?

 実は、似たような光景を、昔、教会で見たことがありました。まだ小さい子どもを抱え、花の日子どもの日に、礼拝へやって来たお母さんがいました。その日は礼拝の中で、牧師が一人一人、子どもたちに手を置いて、祝福することになっていました。でも、初めて牧師を見た子どもたちのうち、一人が大声で泣き出します。

 祝福しようと思って、頭に手を置こうとしたら、「嫌」「やめて」と払ってくるんです。しかも本気で怖がっているから、その声が教会中に響き渡ります。泣いて、喚いて、鼻水つけて、必死に抵抗するわけです。「あの牧師、めちゃくちゃ子どもに嫌われてるね」「ものすごく怖がられているね」……そんな噂が立ったら、それこそ評判を下げるでしょう。

 申し訳なさそうに「ちょっとあっちへ行こうか」と、子どもとお母さんを連れて、外へ行こうとする教会学校スタッフもいます。でも、牧師は笑いながら、「大丈夫だよ」「お母さんと一緒においで」と言って、泣かれながら、喚かれながら、頭から少し手を離して、その子どもを祝福しました。

 イエス様のもとに連れてこられた子どもたちも、みんながみんな大人しく、祝福を受けたわけじゃないでしょう。「誰この人!?」「触らないで!」「近づかないで!」って、初めて見るイエス様を怖がった子どももいるでしょう。たくさんの親が連れてきたら、その分騒ぐ子どもも多くなります。弟子たちは気を遣ったのかもしれません。

 普通、祝福を受けるなら、祈ってもらうなら、大人しくしなきゃいけない、良い子にしなきゃいけない、タイミングを図らなきゃいけない……そんなふうに考えます。じゃないと、祝福を受けるどころか、迷惑な奴と思われて、外へ追いやられてしまうかもしれません。ところが、イエス様は子どもたちを抱き上げて言うんです。

 「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」……神の国を受け入れるって、行儀良く、大人しく、静かに神様の前へ出て行くことじゃないんです。「誰この人!?」「怖いんだけど!?」「私に触って何する気!?」と正面から叫びながら、顔に出してしまいながら、イエス様に手を置いてもらうことなんです。

 感染症の流行で、人と人との触れ合う機会が減りました。あちこちで感染が起き、どこで巻き込まれるか分からなくなりました。この状況で、慌てず、焦らず、落ち着いていられる人の方が少ないでしょう。神様に守られる信仰者って、そういう僅かな人のイメージかもしれません。でも、違います。

 イエス様が抱き上げるのは、泣いて、喚いて、鼻水つけて、不安や恐怖に揺れ動く、ありのままのあなたです。怖いこと、辛いこと、寂しいことも全部、イエス様に受けとめてもらいながら、あなたの人生を進んでください。

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柳本伸良@物書き牧師のアカウントです。聖書やキリスト教に興味のある人がサラッと読める記事を心掛けています。サポート以外にもフォローなどお気持ちのままによろしくお願いします。質問・お問い合わせはプロフィール記載のマシュマロ、質問箱、Twitter DM で受け付けています。