(8)手術当日。手術室からHCUへ

6:00 なるべく水分を多めにとるよう言われていたが、6時以降は何も口に入れず。検温、血圧・血糖値測定。

8:30 点滴のルート確保のために看護師さんがやってくる。

8:40 夫がやってくる。コロナ禍で入院中は面会禁止だが、手術前だけは家族1人のみOKということで来てもらった。ついでに団扇とアイマスクを持ってきてもらうように頼んでおいた。不安な気持ちは前日に電話で話してもう落ち着いていたので、ここではもう平常モードだった。

8:50 夫と別れて手術室へ。夫は控室の場所を案内してもらってから一度院外に出て、外で仕事をしながら手術が終わる時間にまた戻ってくることに。

9:00 私は手術室でまず麻酔を受ける。ベッドに横向きに寝て、膝をかかえるようにして背中を丸くすると、背骨のあいだから硬膜外麻酔が入ってくる。私は胴長短足なので、ここで胴長の底力を見せてやるぜ!とばかりに背中を丸めて、麻酔科の先生に褒められた。感覚としては、背中が押される感じ。麻酔のチューブが背中に埋め込まれている深さは3cmくらいとのこと。それが済むと仰向けに寝て、口に透明の漏斗のようなものを当てられる。深く何回か吸い込むように指示される。この麻酔が効いてきたら器官挿管だ。「コロナの人も器官挿管やるんだよな」と思っているうちに麻酔が効いたようだった。

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図版はJA広島総合病院より。コロナで重傷になるとこれで呼吸を確保すると知って正直うわあ嫌だあと思っていたが、全身麻酔で手術する場合はもれなく器官挿管がついてくるのだった。歯が欠けたり抜けたりすることもあるよって説明書類もあったっけ。怖かったけど麻酔が効いているあいだに終わってしまった。

14:00 夫はこの頃に「もうすぐ手術が終わります」という連絡を受けて、控室に戻っている。呼び出されると主治医の先生の説明を聞き、手術で取り出した腫瘍を見た。本当は私も実物を見たかったのだけれど、麻酔で意識がないためそれが叶わない。代わりに夫に写真を撮っておくように頼んでいた。撮影する夫の横で主治医の先生は「女の人は見たがるんですよねえ」と話していたそうだ。こんなの見たいに決まっている。これだって私の体の一部なのだし、こいつのために一時は自分の命が危ぶまれ、大きな手術をするはめになったのだから。

15:00 時間は全体的にだいたいの目安。目を開けると手術が終わっていた。という体験記を読んでいたけど、本当にそうだった。あ、わたし生きてる、と思った。意識が戻るとすぐに夫の顔があった。朦朧としながらも(起きたらすぐに夫……ずっと待ってたのか?どれくらい待たせた?どこで待ってた?)と、なんだか変な感じだった。腫瘍は見れたか、写真は撮れたか私が聞いたのかもしれない。手術直後の枕元で「撮れたよ、見る?」といってスマホの画面を見せてくれた。写真で対面した腫瘍は、思っていた以上の存在感で「うわあ」と大きな声が出た。重要な任務を果たして夫は帰っていた。

このへんの記憶が曖昧なのだが、たぶん意識が戻った時点でもうHCUにいたのだと思う。High Care Unitの頭文字をとった高度治療室という場所だ。部屋というよりは、フロアという感じ。一応ベッドのまわりはカーテンで区切られているが、医師や看護師の行き交う気配があり、スタッフや隣の患者の声が聞こえ、機械の音がし、一晩中明るい。

朦朧としているが意識はある。痛いというハッキリした痛みはないのだが、言いようがない、なんだかつらい、苦しい、全身がぼろ雑巾になったような感じがする。

鼻には酸素チューブ両腕に点滴。さらに左の手首には針を刺して常に測れるタイプの血圧計がついている(なので外れないように左手はずっと何かを握らされていた)。右手の指先には心電図モニタが挟まっている。そして右手で握っているのは麻酔の追加スイッチ。つねに一定量の麻酔が背中のチューブから入っているのだが、痛みが辛いときにはこれをカチッとやると多めに入るしくみ。背中のチューブの先には麻酔が入った小さなペットボトルみたいなのがあって、それが迷子にならないように、ネットの袋に入れてポシェットみたいに斜め掛けにしている。腹からはドレーンが出ている。ドレーンはタピオカ用ストローみたいな太さの柔らかいチューブで、先に柔らかい容器がついている。血と体液がまざったものがここに溜まるのだ。その液体の量と色から経過が順調なのか判断される。ちなみに体液が出るというのは、ケガをすると肌にジュクジュクしたものが出てくるように、手術で腫瘍を剥がすと、その剥がしたあとから出てくるんだというのがザックリした説明だった。大きな腫瘍をとればそれなりに大きな傷跡になり、ジュクジュクも出る。ドレーン、何本になるのか手術してみるまでよくわからなかったが、1本だった。でもお腹にはドレーン跡が2か所ある。手術中は2本あったのかもしれない。両足には血栓予防のマッサージャー。疲れたOLがふくらはぎに巻くやつみたいなのがプシューと左右交互に膨らむ。このリズムを追いかけているうちに眠気が来ることが多かった。あと大事なのは尿道カテーテル。膀胱に直接管を入れて、点滴台の下のほうに尿が溜まるようになっている。尿も定期的に量を測ってもらっていた。

こんな感じで全身管だらけで、あおむけに寝ているのが精一杯なのに「ときどき横になったりして体位を変えてくださいね、床ずれになるといけないので」と言われる。ベッドの上でドレーンや麻酔の入れ物をよけながら、なんとか言われたとおりに頑張るのだが、身体を動かした瞬間息がつまるような激痛で、結局ほとんど仰向けで過ごしていた。

手術直後から2、3日は平熱に戻らなかった。高いときには38度台後半になり、点滴に解熱剤が加わった。手術で大きな傷があるのだから自然な反応だろうと思っていたのだが、身体の負担を軽くするために解熱は必要なのだそう。

血圧が下がっているというので、背中から入れている麻酔のせいかもしれないと、麻酔をいったん中止したときがあった。このときは本当につらかった。なんだかさっきまでと体調が違うな、と感じ始めた矢先に看護師がやってきて、血圧が低い、普段はいくつですかと聞いてくる。もろに命が薄くなるというか、弱っている感じがしたのは、そういうことだったのかと納得した。血圧が下がっていった先に死があるんだなと実感できてしまった。麻酔を中断して様子を見ると血圧が戻ったのだが、今度は痛みが怖くて、いままで追加のスイッチを押しすぎていたのかもしれない、もう追加しないようにするので麻酔を戻してほしいと頼んで、麻酔が再開したときは心底ほっとした。

HCUで過ごしていたときは、時間の流れがものすごく遅く感じた。身体がつらすぎて細切れに眠るのだが、目が覚めて、看護師さんが何か確認にやってきて時間を尋ねると全然進んでいない。もう消灯時間かなと思うと、まだ18時前だったりした。

唯一救いだったのは、麻酔が身体に合っていたようで、吐き気がなかったこと。麻酔の副作用で吐き気をもよおすことが2~4割ほどの確率であると聞いていた。若い女性(いや若くはないけど高齢者じゃないというくらいの意味)、乗り物酔いをしやすい人に多いというので覚悟していたのだ。超音波内視鏡の麻酔が効かなくて苦しかったのも関係あるかもしれないと思っていた。

手術当日、自分は寝ていただけなのだからたいして書くことないと思っていた。書いてみると意外と長くなってしまった。次回は手術翌日から始まったリハビリについて書こうと思います。


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