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倫理法人会の教科書・解説

倫理法人会で教科書としている「万人幸福の栞」を
僕なりに解読して、読みやすくわかりやすい文章に
してみました。
本編は、とても詳しく事象例を挙げて記述してあります。
より深く理解したい方は、倫理法人会の会合に参加して
実際に手にとってご覧ください。

1条 今日は最良の一日 今は無二の好機
   (日々好日)

 今日は二度とめぐっては来ません。
今日を生きると、また夜が明けて新しい今日になります。
今日という日は希望に満ちた善き一日であります。
そんな今日、やるべきことをやっていきましょう。
 星の動きや暦による運勢などは確率の分野でありますから、参考にはしても、自分で決めて行うことに躊躇することはないのです。
「時は金なり」と言い、お金は取り戻すことができますが、今日という時間は、取り戻すことができません。
 成功の秘訣は「気づいた時、気軽に喜んで、さっと処理する」「気づくと同時に行う」ということです。気づいた時、というのは、そのことを処理するのに最も適したタイミングがやって来たということです。
 人間の脳は、その波動を感じるようにできているので「気付くとすぐする」ことの繰り返しで問題は解決します。
 思い立つ時が最良の時、思い立つ日が最良の一日、なのです。

2条 苦難は幸福の門
   (苦難福門)

 誰にでも、病気や災難、貧困などの「苦難」があります。
何か一つ「これが解決したらいいのに」という問題があるのです。
 この苦難というものが、実は生活の不自然さから発生しているとも言えるのです。同様に心の歪みがあると、それに気づくように発生した危険信号なのです。
 これに気付いた私たちは、苦難の原因になっている生活の不自然さや心の歪みなど改善することができれば、幸福へと歩みだせるのです。
 その先には明るい日々が待っているのですから、にっこり笑ってエイ、と一声、かけて勇ましく、苦難の扉を押し開きましょう。
「苦難は幸福に入る、狭い門」なのですから。

3条 運命は自ら招き、境遇は自ら造る
   (運命自招)

 自分の心の在り方によって、人生の境遇は決まっています。
心が弱っているときには、あと一歩が踏み出せないこともあります。
心が明るく元気な人を見れば、洋々たる人生を歩んでいるのです。
 運命を切り開くのは自分でしかありません。自分が努力すること以外に、自分の境遇は変えられないのですから「やればできる」と信じて前を向いて歩き出しましょう。

4条 人は鏡、万象はわが師
   (万象我師)

 人は人、自分は自分と思いがちですが、実は、他人は自分を映す鏡なので、自分のこころや行いが投影された人を観ていると言えるでしょう。
 ニコニコ笑顔であいさつをすれば、相手も笑顔で応えるし、大声で怒鳴りつければ、相手もむっとして睨み返してきます。
 親子も友人も、すべてが鏡となって自分の心を映しているのに、相手を改めさせよう、変えようとしていたと思います。しかし、他人の心を変えることはできないものです。
 相手が不機嫌なのは、もしかして自分の行いの所為かもしれませんから自分の行いを改め、自分が明るい行いにすればもしかして、相手もこれに応じて変化していくかもしれません。よって全てのものに、自分の行いが反映されるものだと気づきます。
 もし、何も学べないし誰も教えてくれないと感じたならば、自分から学びにを得るために動き出せばよいのです。本を読み人と会い、教えを乞うことで、自分に変化が始まるのです。

5条 夫婦は一対の反射鏡
   (夫婦対鏡)

 男女は共に向き合うことで家族となり、子孫繁栄の元となります。
ただ、心の向き合い方は次第にすれ違いやすくなっていますから、幸福のためには心までも一致させる必要があるのです。
 妻は、家を顧みない夫を改めさせようとしたかもしれませんし、夫は、妻の至らない部分を改めさせようとしたかもしれません。
 夫婦は向かい合う反射鏡のようなものと考えてみると、愛情深く向き合って求め合えば、春のように和やかな家庭となります。
 相手を変えようとせず、自分の心を磨いていけばそれを見て、相手も自然に改まっていくものです。

6条 子は親の心を実演する名優である
   (子女名優)

 子供は親、そのままであります。顔かたちから、身振り手振り、ものの言い方に至るまで、どんなに上手な芸術家でもこれほど似通った肖像を作り出せはしないと思うほど似ているものです。
 また、お互いが影響を及ぼし続けていることにも驚かされます。幼子は母親が忙しくしているときに落ち着かず、両親に心配事があるとその子はあまりよくは眠ってくれません。
 親の行いを見ている子供は、同じことを無意識に繰り返し、大きくなるにつれて、親の行いを身代わりになったように実演します。
 ですから、お子様の行いが悪く手に負えないと思うときには、実はその原因は親の言動にあるということになります。
 親は自分の行いを顧みて反省して、夫婦ならば明るく愛し合う状態にすると、子供はそれを見て安心して落ち着いていきます。
 子供に現れた病気でさえも、両親の不自然さが反映されたものですから、親は自分自身の生活と、心の持ち方を振り返っていきましょう。

7条 肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号
   (疾病信号)

 人は骨と肉と血と皮・・から出来てはいますが、ここに心があってひとりの人間となっています。
 肉体は心の入れ物だと言えます。心の状態で姿かたちも変わってしまいますから、肉体は心の表われだと言えるでしょう。
 ですから肉体に現れた病気は、心の不自然さや歪みによるものだということになります。
 これを身体が赤信号を出していると思えば良いのではないでしょうか? 朗らかで潤いのある生活、心持ちになればすぐ、身体は治りますので病気は自然が教えてくれる赤信号と言えるでしょう。
 病気になったときは、正しい生活に戻すチャンスが来たと考えれば、これを怖がらず、利用していけばよいのではないでしょうか?

8条 明朗は健康の父、愛和は幸福の母
   (明朗愛和)

 人の明朗な心は、その人の肉体の健康の元であり、健やかな家庭の元であり、健全な仕事の基礎となるものです。
 朝は朗らかに起き出し、朗らかに働いて、夜は朗らかに休みます。
それぞれがそうであれば、家の中も町の中も、国全体までもが朗らかに健康的に伸びていけるのではないでしょうか?
 明朗であることはまず自分が救われて、その明るさで周りを照らし、人々を救うことになります。そして世の中までも光り輝くのです。
 人を生み育て、養っていくことは親の愛情でありますから、家庭をつくり社会生活を豊かにして、世の中に幸福と文化を生み出す元はすべて、人の愛であると言えます。
 この愛情というものは分け与えても枯れることはなく、いくらでも湧き出でてくるもので、出せば出すほどあふれ出てくるのです。
 その愛に満ちて人々が居場所を得ていることを和の姿と言います。
もともと宇宙、自然というものは調和がとれているのです。
 愛と和の調和は、すべての幸福の元であります。家庭の縦の愛が社会の横の愛につながっていることで、幸福な世界が作られていることになります。
 愛はすべてを生み育て、和はすべてを実り多いものにします。

9条 約束を違えれば、己の幸いを捨て他人の福を奪う
   (破約失福)

 自然の中で生きる私たちは、怪我をしないよう、雨に濡れないよう「自然のきめごと」を守ることで安全に生活することができています。
 では、人が決めた約束事は、守る必要はあるのでしょうか?
法律や規則を守らなかったとしても、誰にも気づかれなければ良いし、少し得をすることがあるかもしれません。
 例えば法の網を潜り抜けて手にしたお金を得ても、その人や家庭を不幸にすることが多いということはよく知られています。
 人と人の間に約束事があるとき、守ってもらえなかった方は被害を被ることになりますが、実はこれを守らなかった本人にはさらに多くの天罰が下ることもよく知られていることです。
 最も厳しい影響が出るのは、家庭内や血縁の中で決める約束でありますから、これを守らなかった場合の影響は、本人に重くのしかかって来るでしょう。
 約束した時間を守り、約束した成果を果たすことから始めましょう。

10条 働きは最上の喜び
    (勤労歓喜)

 人が生きているということは、働くことであり、その働く喜びこそ生きている喜びと言えるでしょう。
 何の仕事もない毎日は、何とつまらないことでしょう。
人は働くことで人のためになり、感謝されることで喜びを感じます。
働くことで得られるものは、充実した思いを得る事と感謝される喜びであり、おまけとして得られるものが、生活の糧となる賃金です。
 働けば必ず得られるものは「喜び」という報酬であります。真心で働いた時には必ず喜びが湧き、その報酬で得られたものは全て食事でも賃金でも、その人の心を満たすものになります。
 与えられた仕事の尊さを悟って懸命に働くとき、心の中は楽しさや喜びで満たされているはずです。 
 真心の働きは、肉体的な健康や地位や名誉までも得られるでしょう。

11条 物はこれを生かす人に集まる
    (万物生々)

 物は、これを愛する人によって産み出され、これを大切にする人のために働いて、これを生かす人に集まってくるものです。
 物は生きている、と言いますが、これは常に正しく言い当てていて、着物も道具も機械もお金も、すべて生きているのです。
 大切に使えば持ち主のために喜んで働き、感謝して使えば大いなる成果を与えてくれるでしょう。
 特にこれを象徴するのが金銭ではないでしょうか?
これを大切に使う人には集まってくるのですが、これを存分に生かす人のところには、使った分より以上の金銭が戻っていくことも周知の事となっています。
 無欲で仕事に励み、他人のお役に立てる喜びを感じている人の所に、金銭は自然に集まっていくものです。
 タライの水に浮いた花びらをかき寄せようとしても、手元から逃げていってしまい、向こう側に流れていくのですが、喜んで送りだせば、タライのふちをたどって、やがてこちら側に戻ってくる現象は面白いものです。

12条 得るは捨つるにあり
    (捨我得全)

 気づいたらすぐすること、が物事を成し遂げる秘訣と言います。
しかし、常に上手く行くことばかりではありませんから、失敗もありますから、何度も挑戦する事もあります。
 そんな苦しい時に、すべてをなげうってそのことに集中することで、意外に良い成果を得ることもあります。
 これを奇跡と呼ぶこともありましょうが、実はその人が全身全霊の努力をした結果が現れた、ということなのです。
 恐れや不安があっても、その私情をきっぱりと捨て運を天に任せる明朗闊達な心境でそのことに向き合った結果が、窮地を逃れるという事になるのではないでしょうか?

13条 本を忘れず、末を乱さず
    (反始慎終)

 人の行いを見ると、枝葉のことには気を付けているようなのですが、始めるときの想いを忘れてしまい、最後には何のために実行したかを思い出せないほど、いい加減にしてしまうときがあります。
 思い立って始めたときの純粋な思いや願いを心にとどめておいて、そのために行っているのだと思い出すことが必要でしょう。
 始めたときに心に描いた夢や想い、友人から受けた恩や、協力にも感謝しながら進む事で、いい加減な終わり方を免れるでしょう。
 自分の命がどこから来たのか、出発点に戻るとしたらそれは両親であり、自分の命をこの世に生みいだしてくれた両親への感謝の気持ちが、生きる基本となります。
 また、自分が生活できるようにと与えられた生活、土地や家などが両親、先祖からの贈り物であると気づくことができれば、それに対して感謝の気持ちで掃除や後片付けができるのではないでしょうか?
 幸せな老後を過ごしている人の生き方は、感謝と努力の積み重ねであると言えるでしょう。

14条 希望は心の太陽である
    (心即太陽)

 太陽の光と熱とが無限であるように、希望は尽きる事はありません。
夜になっても太陽がなくなるわけではなく、人々の明日の働きを活発にさせるために出番を待っているのです。
 希望は心の太陽と言えるでしょう。
天から与えられた命、両親からいただいた身体、それらを突き動かすものが希望であり、心に希望がある限り前途は切り開かれるのです。
 物事が上手く行かない時は希望を忘れがちになりますが、せっかく与えられた仕事に情熱を燃やすためにも、心の中に希望の灯を掲げて家や町、周りの皆の希望の源泉となりましょう。
 あなたの人生を希望の灯で燃え立たせましょう。

15条 信ずれば成り、憂えれば崩れる
    (信成万事)

 どんな仕事やスポーツでも、練習をして自信を付けておくことが大切なのですが、練習によって得られるのは信念であり、これだけ練習したのだから大丈夫、という信念が物事を成就させます。
 そんな自分を信じることができるから、信じた通りになるのです。
心の底から信じる人には嘘をつくことができません、ごまかせません。
 他人との約束も「誓いを守る」と決めるから、守れます。
神に祈るときも「信じて行います」と決めて行うので成就するのです。
 もし、自分や約束事を疑い心配をするときは、約束を果たせません。
病気や仕事の失敗も、信じることができない時には悪化していきます。
 人生は信じることから始まり、信じることで成就するのです。

16条 己を尊び人に及ぼす
    (尊己及人)

 人は、自分を大切にしないことで命を縮めている事があります。
楽したい、恐れる、ねたむ、悲しむ、不足不満を持つなどで自由度や生活を小さくし、仕事も不振になってしまうことがあります。
 自分を大切にするということは、個性を伸ばして他人のために働くことなのです。 自分の完成は誰かのために働く条件を整えることで、それによって心から幸せを感じることができるのでしょう。
 自分を愛する気持ちを、他人にも感じることができれば世界は一つとなり、人の喜びも悲しみも自分のものに感じられるでしょう。
 小さな自分は消え失せて、世界とともに喜び、共に生きる幸福感を分かち合える世界が来るはずです。

17条 人生は神の演劇、その主役は己自身である
    (人生神劇)

 この世はいろいろな場面を持っており、その主役は己自身です。
まるで演劇のような展開もありますが、その主役も演出家も監督役もすべての役が自分自身なのではないでしょうか?
 その演劇の主役が己自身とすれば、家では父や母として、会社では社員や社長のお役目として、自由な時間には旅に行く事もあって、その時々を、自分が信じる通りに行うことが大切です。
 小説や演劇は人生劇の見本となるものなのですから、これを手引きとして、自分自身の人生劇場の主役となって満喫してみましょう。
 人生が「無料で体験する大演劇」とするならその演出家は自分であり、主役も自分自身なのです。