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今日は面談の日になるし通院の日である

 この前、6月1日に個展で会った、カペイシャスの人と会う日になって、
かつ今日は通院の日でもあるから、疲れることは分かってる日で、
おそらくあまり作業に充てられる時間は無い日だ、
 ということで、自分自身、この先何をするかはわからないけれど、
ちょっとずつ繰り返しの中で、生きて行くにあたって、
準備をしようってことだ。 とにかく人に認めてもらうことが大事になる。

 僕は自分の漫画を制作する時の感覚というものをかなり好んでいる、
けど、本当はもっと雑然とした落書きを一杯して作品を作りたいと、
そう思ってるところもある、正直、思いついたことをそのまま、
紙に反映させることを継続することで、沢山のアイディアが生まれ、
その後に世界を経巡る気持ちが生まれてくるわけであるから、
 アイディア作りの為には何にせ落書きが本当は大事なんだ。
でも落書きをする余白があまり許されて無いような感じがするので、
どうしても絵を描く時の障壁になりやすいところがあると思うんだ。

 発表の場をどんどん広げていくためにも、
自分の制作を助けてくれる落書きは継続したいのだけど、
どうしても落書きより先に完成系が必要になっているような気もする。
その状況を打破したいと思ってるのは確かで、
完成品ばかりを求めて絵を描くのはしんどいことだと知っているし、
なんでもかんでも仕事だと思い過ぎると自然な絵を描く力が、
失われていってしまうのも確かだろう、
やっぱり人に絵を描かせるにせ、描いてもらうにしても、
その人が満足して作品制作にあたれる状況が無ければいけない、
もう風呂場で執筆するというような状況はやめにしたいのである。
 ようするに、執筆する場所を与えてくれたら、僕も、
もう少し違う方法で絵を描いてけるとおもうのである。
何を描くのかって? そんなに大量に時間があるわけじゃないから、
毎回描く時も時間とのせめぎ合いという中で描いてるのは確かだ。
 自分が文で残したもの、自分が絵で残したもの、
落書きを拾って記憶をより強くする。 その繰り返しを行い、
作品の解像度を少しずつ高めていく作業が必要になるだろう、
そう、僕はノートに書き留めた落書きが絵の根本にあるから、
この先も絵は落書きとともにあって、その落書きを、
自由に具現化させていく、そこに勝機を見出している。
 そんな話を相手に分かってもらえるかどうか?
僕はとにかく枚数描かなきゃ絵を描けない人間なのだから、
それを分かってくれたらいいんだけどなあ。






おしまい

いただけるなら、どこまでもおともしますとも!