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いのり

 無事を祈るしか出来ない、
自分から何かを探し求めることが封じられて久しい、
他に期待できるだけ心に余裕が無くなりかけている。
 社会資源という言葉を知ってるだろうか?
社会資源は要するに社会福祉などの事をさしていて、
社会資源が不足しているということは、福祉の面が欠けてるってことだ、
僕の周りで利用できる社会資源はそんなに多くは無い、
僕が今の生活圏に依存する限りには、現状一本に限られてるのは確かだ、
そしていつかは人間は福祉から自立しなければならない、
ぼくもまた自立を望まれてる人間の一人であって、
通所している色んな人たちが自立の道を歩み始めている。
 着実な自立のために社会資源を個人が活用することが望まれていて、
自立に向けて活動しない個人は社会資源を有効に活用できてない、
そういうことになるわけである。

 僕は恐らく、変化を怖れて、社会資源を長期間だらだらと、
浪費した存在なのだろう、とすると、僕に出来ることから考えても、
社会福祉の世話になり続ければ、この先どうあがいても、
僕は社会資源を浪費し続ける、それは社会にとっても、
福祉を与えてくれる人達にとっても厳しいことだ。

 とすると僕は自立に向けて動き出さなければならないが、
重い腰は上がらない、絵を描くことに特化してきた自分の癖が、
今でも残っていて、絵を描くことでなら自分を表現できるか、
もしれないが、絵は趣味にしかならないというのが、
今通っているところの答えに近く、
僕のやってきた絵は自立を助けてくれない、
どうすればいいのだろうか?

 このままずっと社会福祉もつづくわけじゃない、
相手にも忍耐がある、限界がある、
それが分かっているから、恐らく三年ほどで、
卒業できるような流れを無効としても組みたいのだと思う、
ただ、そういった尺度を越えてしまった人は別だ、
僕よりずっと年上の人達は、
既に人生のステージを僕よりも何段も先にいる人なので、
僕の現状と比較は出来ず、
そういった年長者のためにも社会福祉があるということで、
できるだけ若い人には働いて欲しいという本音があるのだろう、
僕は自分の若さを利用して働かなければならないが、
精神的余裕が必要になることで、今まで一度も労働に、
至らなかったのは僕の限界というところである。
 めげずに何度も労働を目指して頑張れと、
そう言われるかもしれない、けれど僕は、
自分を励ませるほど、もう気力が足りてない、
今日という時期が僕に期限を迫る、毎日が僕に期限を迫る。

 若さは刻一刻と失われていく、
社会資源は無為に使われ、社会は国民は疲弊する、
そうと知れば、僕の生きる道はか細いものである。

 どうか、毎日がもっと豊かに過ごせますよう、
祈ることしか僕には出来ない。





おしまい

いただけるなら、どこまでもおともしますとも!