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1+1=2である

他人に頭を下げ、反対に下げられることがある。

筆者は内罰的思考の持ち主で、過剰に謝っていた時期もあれば、まったく謝らない時期もあった。前者は自己満足の謝罪、後者は自責に疲弊し、自分に言い訳しなければ生きていられなかったことから、他者にまで気を遣う余裕がなかったことが要因だったのだと思う。
いずれにせよ、自分勝手な理由で出た行動であることに変わりはない。

健康な思考力を培う目的で始めたランニングは、必ず、早朝に出走する。小雨程度なら気にせず走るが、陽光降り注ぐ時間帯になると断念する。なぜなら、人通り・交通量が増えるほか、直射日光により体力を消耗するからだ。そして何より、紫外線が憎い。色白は七難隠すという言葉があるが、筆者の場合、七難どころの騒ぎではないのである。

いっしょに

筆者が走る目的は、健康のためでも、早く走るためでもなく、単に「健康な思考を培うこと」が目的だ。しかし、あまりよく知らない相手にこのような主張をすれば、「意識高い系」「気難しい」「とっつきづらい」等と思われる可能性がある。それはそれで面倒が省けて良い気もするが、走る理由を問われると「趣味」とだけ答えるようにしている。

すると、「いっしょにどうですか」と誘われることがあり、筆者はもれなく戸惑う。

おいでよ

仕事を終え、自宅で過ごしているところ、「おいでよ」と誘われることがある。筆者はここでも戸惑う。飲食店の場合が圧倒的に多く、相手はほろ酔いなことも多い。酩酊状態の相手に対し、かける言葉の持ち合わせがなく、ほとんどの場合は「見なかったことにする」を選択する。

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ジョギングにせよ、食事の誘いにせよ、筆者は断る際にひとこと謝る。本当に行きたければ、よほどのことがない限り馳せ参じるところ、行かなかった時点で察してほしい気持ちを抱えながらも、誘ってもらったことは素直に喜ばしいので、「(応えられず)ごめんなさい。」と謝るのだ。
この場合の謝罪は自己満足に過ぎず、相手も大して気にしていないだろう。

しかし、稀に激昂されることもある。「自分の誘いを断るなど言語道断!!」というような剣幕でまくし立てられた際は、己の語彙力が塵と化すのを静かに感じ取っていた。共通言語を扱うはずの相手に、自己の言語がいっさい通用しない場面ほどさみしいことはない。

だが、人間とはそういうものである。

1+1=

年齢、性別、国籍、価値観や趣向、育った環境など、自分との共通項が多い相手ほど非言語的な部分で分かり合えることは多い。いっぽうで、言語的なコミュニケーションをおざなりにする場面も見受けられる。
また、類似する部分が多いほど、差異が目立つ。全く同じサイズ・色のパイロン(工事現場等に置かれる三角形のあれ)が100個並んでいるところ、1つだけ色や形が違うと、とんでもなく気になるのと似ている。

人間もまた同じだ。

目の前の相手につける肩書が何であろうが、我々は互いに「個」であり、「1」でしかない。数字という抽象的な物事に客観的表現力をあてがう動作になぞらえ、解を「2」または「1」にすることもあろうが、結局は「2」でしかなく、どこまでいっても違う個体同士だ。
夫婦(カップル)、親子、きょうだい、友人、先輩後輩、教師と教え子。互いの関係に名をつけることはできても、それらの名が、2つの個体を完全に同化させる役割を担うことはない。

自己満でも

筆者は今でも、自己満足で頭を下げることがある。
なぜなら、相手が筆者の真意を知る術はなく、単に、筆者の言動を見て、真意を想像するしかないからだ。申し訳なさそうな声は、申し訳なさそうな動作なくして発することはできないのと同じで、たとえ、とっかかりが自己満足であっても、相手とうまくやっていきたいという思いに違いはないのだ。

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