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咳払いで思い出した横顔も

改札に定期をかざし、同じ路線、同じ駅を行き来する毎日から離れ、2年が過ぎた。はじめこそ自由に怯え、かえって規則正しい毎日を送った筆者。今の生活に馴染むまで1年以上を要し、自分の不器用さを情けなく思う。

会社という組織は窮屈だが、良いところが沢山ある(筆者が語るまでもないだろうが)

定期に

会社員の頃は、毎日同じことと少しだけ違うことを繰り返した。勤続年数が重なる度、同じことは積み重なった。そのうち、違うことを探す方が難しくなった。
いっぽう、自営業フリーランスになった途端、毎日同じことと違うことを繰り返す。同じことは同じことだが、同じふりをした違うことしか起こらず、違うことはいつまで経っても違う。

例えば、開業支援。

同じ業種・同じ市区町村内で開業したいと希望するAさん、Bさんの場合。
彼らの開業資金に大差がなかったとしても、互いの能力・経歴、事業展望、かかる費用・日数のシンクロ率は低い。前提が同じなので、両者の差異が明確になり、「前ならえ」はできない(ただし、筆者が何10年もこの仕事を続け、制度等に大きな変更が生じない場合、いずれ標準化できる可能性はあろう)

原則、どの顧客も太く短い関係性で、短期間に集中して接触し、目的を達成すると何かない限り疎遠となる。筆者にとっては気楽で良いが、時々、さみしく思うこともある。

そのせいか、美容院やネイル、かかりつけ医等、定期的に顔を合わせる存在に対し、以前より有り難みを覚えている。過去の話題を共有しているからできる話もあるのだ。

生きる時間

恐らく、筆者は「朝型」だ。
なぜなら、周囲が連絡をくれ、SNS等を更新する時間帯に睡眠をとり、反対に、筆者が更新する時間に彼らは沈黙しており、睡眠をとっていると推察できるからである(あくまで主観に基づく推察です)

以前、目を焼かれそうなほど眩しい朝陽の中、まだ目が覚めきっていない人とご一緒する機会があった。どことなく苛立っている相手に、自分がどんな言葉をかければいいのかわからず、ただただ眩しさに眉をひそめることしかできなかった。
途中立ち寄ったコンビニで、相手は軽食を購入した。何だ、空腹だったのかと安堵すると共に、生理現象により大きく機嫌が左右される点、とても人間らしい人だと思った。決して口数の多くない相手のことを、筆者はよく知らなかったのだ。

道中、購入したばかりの食事を貪る相手を横目に、前を行く人の背を眺めた。しばらくして、食事を終えた相手が咳払いをした。

記憶は曖昧だが、日常的に夜更かしで、朝はあまり強くないと話していたその人に、あの時間は苦痛だっただろう。いっぽう、筆者は平常運行ながら、いつもと少し異なる日常を、楽しむ余裕があった。
それなのに、何を話し、相手がどのような表情だったかわからず、ただ、咳払いをしていたことだけ覚えている。

もしかすると、相手が咳払いをしたことも筆者の記憶違いかもしれないね。

事実は1つ、解釈は人の数だけ存在するこの世において、あの日、我々が交わした会話を確認する術は、ない。きっと下らない話だろうし、相手はすっかり忘れている可能性もある。
それでもなお覚えているのは、日常という基盤があるからだろう。

人生は全て、日常であり、特別なのだと思う。

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