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夕暮れは蒙昧
帰宅後猫と天井を見ながら妄言が頭をよぎる。
夏至の前の季節は、安居なのか蟄居なのか。
芸術と宗教は非なるものだが、似てもいる。
「真実」それはどこかに隠されているのか。あるいは隠された真実が象徴されて現れたものなのか。いづれにせよ芸術と宗教の中では「真実」が希求され、あるいは求道される。
それは何故なのか。
翻って「真実」とは何なのか。
まあ、大層なことのよう。
今まさに起こる事件や歴史上の過去の事象の「真実」や「真相」を発掘し明るみに表すべく、人々は奔走する。しかし、その度に真実は変化する。
皮肉なことに、かつての真実はいとも容易く虚偽となる。
どっこい
それらのどちらかに味方するなど、清廉潔白でもないよなと
夏至までの間は「虚実」のあわいにいるようで
日中と夜半の境目の時間はどんどん長くなる。
夕方の混み合った電車から降りてもまだ西陽は差し込まず。
夏至までの間は「虚実」のあわいにいるようで
食事を終えて休息する猫を触れば
彼らの考えがこちらに伝わるのか
西向きのベッドの上で猫は観想などとは全く無縁に、
今ここに有るだけの事と、寝息を立てる。
©松井智惠 2023年6月7日 筆
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