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不完全である。

世界一幸せだと言われていた国、ブータン。
ネットが普及してから幸福度がさがってるらしい。

そんな書き込みを見て、自分のガキの頃と似てるなぁと感じた。

自分は、物心がついた時から左耳が聞こえない人間。
いわゆる片耳難聴というやつなのだが、先天性なのか、0才の頃に高熱をだして生死をさまよったからなのか、原因はわからない。

ただ、いつだってこの世界は左側がいつも静か。

台風だろうが、大荒れの天気だろうが、右耳さえふさいでしまえば、あっという間に無音がおとずれる。
自分に与えられた機能に、少しだけ酔いしれていたそんな幼少期。

他人と違うことに気が付いたのは、小学校に入る前だったと思う。


「どうして返事してくれないの?」

同じ幼稚園の子に言われて、最初は不思議だった。

自分の世界が当たり前だし、他人も同じもんだと感じていたから。
というより、そもそもみんな同じなんだという感覚すらなかった。

腕をつかまれながら言われたセリフに、あたりまえに絶望し理解する。


自分は、不完全な人間なのだと。


片方の聴力だけだと、音が立体的にとらえることができない。
極端に言えばどこから音が鳴っているかが、わからないのだ。
目で認識できる範囲ならカバーできるが、視界から消えると音を
拾うにも一苦労。それが左後方からだと、ほぼ無音に変わる。

口の動きで言葉を予測することもした。
相手を傷つけないように。自分が傷つかないように。

人と比べることで自分の欠陥が浮き彫りになる。
その頻度は当たり前に増えていき、その都度えぐられる。
人とかかわりをもとうとすればするほど、
仲良くなりたいと思えば思うほど、
無視はひろがるのだから。



やがて周りは離れていき、自分も追わなくなった。

ただ片方の音が聞こえない世界なだけで
傷つき、傷つけてしまう。
他人の世界を知らなければ、こんな思いをする必要もなかったんだろうな。


不便な幼少期であっても、とりあえず大人にはなれた。
いくら他人を羨ましく思っても、不完全な自分の世界はこのままあり
続ける。
「ずるむけか、皮かぶりか」の違いのような気もする。
ただそこに、事実があるだけ。


次があるなら、ステレオで人生を歩むことに決めている。



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