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記憶

順風満帆に見えた休職ライフも2日目にして早くも陰りが見えた。

このまま何もしなくていいのだろうか。
毎日のルーチンワークをこなした後の空き時間。
ひたすら長い時間。

何だかソワソワする。

罪悪感とまでは言わないが不快感が腹の底から沸々と湧き上がってくる。

ただ休むって何だっけ?

ゲーム、読書、映画、音楽、散歩…
どれも何だかしっくりこなくて集中力が続かない。

気づいたら横になってうとうと。
夕方くらいに起きて感じる生活の違和感。

いつの間にか休み方を忘れてしまったみたいだ。

自分のしたいことへの理解。
やりたいことを実行に移す決断力。
ただ何もしないということへの適応。
それら全てを無くしたようだ。

思えば、学生時代の私は休み(サボり)の才能があった。

ほぼ24時間惰眠を貪っても何とも思わなかった。日がな一日海を眺めていたりもした。自分の心が何を求めているかを理解していた。

そんなことをぐるぐる思案していると嫌になってくるので過去に思いを馳せる…

私が高校生だった頃。自分は何者にもなれないと信じるクソガキだった。学校は嫌いだったし授業も無駄だと思っていた。

とりわけ、化学と日本史の授業はつまらなかった。暗記するだけの科目だと思っていた。いつか忘れるものを頭の中に詰め込むのが大変嫌だった。

5限6限がそれらの場合は帰ることにしていた。
しかし、完全にサボって帰る度胸はなかった。

そのため、昼食後に保健室に向かい検温をしてしばらく横になって休んだ。そこからどうにも治らないからと早退する。大体は腹痛で帰っていた。

学校のシステムを熟知した上でのライフハック。

これで月に1,2回は帰っていた。それで単位がどうとか指導を受けたことはないので、おそらく何の問題ないが真似をするなら自己責任でお願いしたい。

そして、今は亡きおばあちゃんがよく迎えに来てくれた。

おばあちゃんは私が腹ペコボーイであることをご存知だったので、帰りにおやつを買ってくれた。

それでよく腹痛で帰ってきたのにおやつを食っているとはどういうことだ!?と母親に大目玉を食らったが、私はどこ吹く風という顔で気にしなかった。

だって帰りたかったから。

あれから15年くらいか。

自分のやりたいことを棚上げにするための理由を探すことに慣れた。逆にやらないことへのメリットを見つけるのが上手くなった。自身の心を説得せずとも納得できる様になった。

何もする気が起きず、何をしたいのかも分からず。

とりあえずだらだらと文章を書いてみた。

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