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美のプラトー

水面が揺れるように、春の断崖から落ちてゆくいのちの燦々。何かに耐えられずに、ひかりになった人たち。その代弁者が、笑いながらお互いを傷付けあっている稜線の上で、ぼくは1組の男女に出会った。

ぼくは尋ねた。
「あなたたちは何とたたかっているのですか?そして、なんのために?」

女性は目を閉じて、開口した。
「人間は哀しい。美を目指すものしか美しくなりえないのは、何という悲惨でしょう。美を目指すものにとって世界は、全体でも部分でもあるもの、『アニマ』なのです」

男性は承って、応酬した。
「仰る通りです。私は美を目指すものですから、私に纏わるもののすべてを、『マテリア』としていたい。他のことはどうだってよいのです」

女性は男性の硬さを撫でていた。男性は女性の柔らかさを吸っていた。稜線は震えていた。あらゆる笑い声は、死とのふれあいに他ならない。死とのふれあい、ここから出発して、生への意志に目覚めた彼等。これほどに親しみ深い変化はなかった。

稜線は乾いていた。千里の旅を終えた風が、この整列を少しずつ組み換える。点は集合するように離散し、離散するように集合した。たたかいの裏庭は、沈黙でも、行間でも、熱病でも、恋でも、情欲でも、侵犯でも、苦痛でも、月でも、幸福でもあった。

男性と女性は手をとり、閉口した。ぼくは見た。美のためだけに彼等の愛を深めてゆく、その決意のまなざしを。そして、地平線の向こうから、声は到来した。

「中空が、荒野を削る様。絶海が、島を沈める様。母胎が、体温を生成する様。社会が、人の尊厳を奪い去る様。あらゆるものが、私たちの『アニマ・マテリア』でありましょう。私たちは美しい。私たちは、まだ美しくなれる。信仰なさい。この天地の分たれた世界そのものを。祝福なさい。あらゆる美の誕生するところを」

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