見出し画像

06_預言者ジョセフ・スミスの証

預言者ジョセフ・スミスの証は以下のとおりです。
①1823年9月、天使モロナイが4度現れ、将来、金版がジョセフ・スミスに渡されると告げた
②ニューヨーク州オンタリオ郡マンチェスターの近くの小高い丘で金版とウリムとトンミム、胸当ての存在を確認した
③ジョセフ・スミスは取り出すのを止められ、それから毎年そこに行き、天使モロナイからさまざまな指示を受けた
④1827年9月22日、金版を取り出すことを許され、その金版を安全に保つように大きな責任が課せられた
⑤金版を奪うためのさまざまな策略や迫害が起きたが、主によって守られ、金版は、1838年5月2日に天使モロナイに返却された
⑥モルモン書は、神の賜物と力によって翻訳され、1830年3月に『モルモン書』として出版された

【ミニ情報:金版の外観】
モルモン書の元となる金板は、復活し栄光を受けたモロナイが天使として預言者ジョセフ・スミスに現れて、古代の記録について指示を与え、やがてそれが英語に翻訳されることを告げました。その後、時が訪れて、ジョセフ・スミスはその版を渡され、神の賜物と力によって翻訳しました。そして、その記録は現在、イエス・キリストが生ける神の御子であることを証し、またイエス・キリストのもとに来て、イエス・キリストの福音の律法と儀式に従うすべての人が救われることを証する、新たなもう一つの証の書物として、数多くの言語で出版されています。
 
以下は、ジョセフ・スミス自身が金版について説明したものです。

「これらの記録は、金の様相を呈した金属板に刻まれていた。また各板は、幅約15cm、縦約20cmで、普通のブリキ板ほどの厚さであった。そこにはエジプト文字がいっぱいに刻んであった。また、全体が3つの輪で本のようにとじられて1冊になっており、厚さは15cmほどであった。その一部は封じられていた。封じられていない部分の文字は、小さくきれいに刻まれていた。また、本全体にわたって、その作りの古さを示す多くのしるしが見られ、彫刻技術の素晴らしさが見受けられた。」

(ジョセフ・スミス『ウェントワース書簡』)

「版全体で23kgまでにはならないであろう」

(J・M・ショダール『モルモン書研究入門』p.44)
金版の外観

【ミニ情報:金版の翻訳作業】
『モルモン書』を翻訳する過程や作業については、ジョセフの筆記者を務めた妻のエマ・スミスやオリバー・カウドリなどの筆記者の言葉をまとめると次のような作業であったことがわかります。
 
①ジョセフは声を出して口述翻訳をし,筆記者はその言葉を復唱し書き留めた
1834年にオリバーは次のように述べています。「天からの霊感により口述する声のもとに座り,この胸に最高の感謝の念を呼び起こした。これらの日々は決して忘れることはできない。日々,わたしは彼が翻訳しながら口にする言葉を絶え間なく,書き留め続けた。」(“Messenger and Advocate”1 [1834年10月]:p.14)
②ジョセフはウリムとトンミム(ヘブライ語で「光と完全」の意)を使った
ウリムとトンミムは旧約聖書の時代やその前後に聖見者の石として使われていました。それらは胸あてに取り付けられた「つる」にはめ込まれ,モーセの弟のアロンの聖なる衣の一部として説明されています。その胸当ては、ジョセフが金版を取り出したときに、石の箱の中に一緒に収められていました。ジョセフは神から直接の啓示を受けるのに熟練するまでそれらの石を使ったと記録されています。(“Two Days’ Meeting at Brigham City June 27 and 28, 1874,” Millennial Star, 36:32, 1874年8月11日,p.499参照)
③ジョセフはモルモン書のほとんどを1929年の4月7日から6月30日の85日間でおこなった
この期間にジョセフと筆記者は、毎日の生活活動だけではなく経済的な問題からの求職活動,アロン神権およびメルキゼデク神権の授与に関わるさまざまな出来事,ハイラムとサミュエル・スミスの改宗への支援,バプテスマを施すために,少なくとも1回(おそらく2回)30マイル(約48キロ)離れたコールズビルへの旅,将来教義と聖約の章となる13の啓示を受け,それを記録し,ハーモニーからフェイエットへ引っ越しをし,モルモン書の版権を取得し,数日間フェイエット近郊で伝道し,数人にバプテスマを施し,3人および8人の証人との時間,モルモン書の出版の手配などの時間を考えれば、驚異的な速さで翻訳したことになります。
④翻訳に関して、検索したり,文章を照合したり,編集上の書き込みなどは行わなかった
妻のエマは、ジョセフは食事の後や朝起きたときに,すぐに前に残したところから始めたと述べています。(“The Saints’ Herald”26[1879年10月1日]:p.290参照)
 
【ミニ情報:金版の翻訳原稿】
モルモン書の原稿は、最初の原稿と印刷用原稿の二つが存在します。最初の原稿とは、ジョセフ・スミスが実際に翻訳した時の原稿であり、印刷用原稿は最初の原稿を印刷するために最初の原稿を書き写したものです。

「ジョセフ・スミスは1841年版のモルモン書を準備するとき,1830年版に生じていた予期せぬ誤りと脱字を訂正するために最初の原稿を使用した。1981年版では,もう一度最初の原稿を参照しておよそ20か所について最初の言葉づかいに戻した。モルモン書に誤りがあれば,それはどれも人の誤りであり,変更はモルモン書の本来の意味と趣旨に戻すためにのみ加えられたものである。」

(Book of Mormon Reference Companion,デニス・ラージー編〔2003年〕,pp.124-125)

ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は次のように述べておられます。

「〔モルモン書の〕初版には幾つかの製版上の誤りや,恐らくは一つ,二つの語が抜けるという誤りがありましたが,これらは避けられないものでした。細心の注意を払い,恵まれた状況で書籍を出版している人々であっても,残念ながら,誤植や機械上の誤りを見つけます。時にはそういった間違いが最終の校正を終えた後に発生することがあります。…変更箇所のリストを綿密に検討してみると,…原文と完全に一致しなくなってしまった変更や追加が一か所もないことが分かります。句読点や,訂正を必要とする細かい部分を変更しただけであり,概念を変更したり,付け加えたりした箇所は一つもありません。そのような変更は,……文章を明確にするため,また脱落していた部分を示すために行ったということは明白です。わたしは初版の誤りや脱落はほとんどが植字工と印刷工の間違いによるものであったと考えています。最初の校正の段階で預言者ジョセフ・スミス自身がこれらの誤りを数多く見つけて,訂正しました。」

(Answers to Gospel Questions,ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア編,全5巻〔1957-1966年〕第2巻,pp.199-200)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?