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grace

実家に帰る日取りを夫に相談する
タイミングを見計らっていた。

私が留守中に義父の具合が悪くなった
ところで、夫がいるし、義姉に来て
もらうこともできるだろう。
それぞれが、自分の親のサポート
をするべきだと考えていた。

それでもなかなか、帰省をすると
言い出せなかった。
遠慮をしているのではなく、
自分の考えとは別のところで
ストップをかけている感じだった。

そんな中で、
義父の食欲も徐々に減ってきて
「明日からは、夕食はいらない」
と言っていた。
食欲が湧いたタイミングで、
食べられる量だけで良い。
夕食のたびの2階への行き来も
辛くなってきたと言っていた。

食事を見た瞬間から、ため息
混じりの義父。
食欲が湧かないのか、作ったものが
気に入らないのか…
できるだけ、好みそうなものや、
食べれるものをと、気にかけて
作っているつもりだから、
病気とはいえ、もう少しデリカシー
が欲しい。
義父と食卓を囲む苦痛から解放された
だけも心底ホッとした。

夜は、私が作った食事を運び、
義父が食べられるタイミングで
食べてもらう。
朝は、義父ができなくなった神仏の
お世話やキッチンの片付けをしながら、
身体の調子を聞く。

辛そうに寝ていることも多くなった。
食事を残して捨てても仕方ない。
それでも、食べられそうなものを
置いておく。
義父も私には遠慮がある。
近づき過ぎず、義父が必要なこと
をするだけ。

それでも夫や義姉に比べれば
十分過にやっていると思う。

「もう長くはないから、毎日
声かけくらいはしたほうが良いよ」
半分脅しのつもりで夫に伝えた。

義姉を呼ぼうかとも考えたが、
義父のそばにいるだけで、イライラ
すると言っていた。
本人は口に出さないようにしていても
その怒りのエネルギーが義父の反感を
かって言い合いになる。
家中の空気も悪くなる。
義姉に頼る事も諦めた。

義父は自分の子供に対して、
思いやりを示して生きてこなかった。
本人なりの愛情はあったかもしれない。
伝わらなかった。
それが今の現実だと思う。

嫁としての勤めではなく、
私は義父に対して家族となった縁と、
子供の命を繋いでくれた恩がある。
私にとって、それはとても尊いこと
だと改めて考えさせられたんだ。

お互い様だけど、
家族として暮らすには、価値観の
違いは苦しみを生じた。
その苦しみが強かったから自分を
楽にするには魂を磨くしかなかった。
私の人生に、完璧な悪役とした。
因縁も感謝に値するのかもしれない。

「残り僅かな生きている時間を
できるだけ波風立てずに、穏やかな
時間にすること。」
夫や義姉にはできないことに
思えた。

ずーっと、一日も早く目の前から
消えてほしいと願っていた。
でもそう考えることができたのは
年末年始の義姉と義父のバトルで
家中のエネルギーが撹拌された。
今まで、和らいでいたはずの、
怒りの感情が思い出されて、
noteに過去を書き綴っていた。
そのお陰で、許せない感情が自分の
中にあることに気づけたし、
時間をかけて決着がついた。


私にとって、どんなに理不尽な扱いでも、
それが当たり前だと育った人達には
どうする事もできなかった。
家族として生き続けるなら、
苦しいところに焦点を当てるより、
見て見ぬ振りをしたり、許すしか
ないと思っていた。

私の中のどこかで…
実家の家族のように、
信頼に値する人達だと期待して、
信じたかったのだろう…。

相手は悪意ないから変わりようもない。
嫌だと訴えても、同じことを平気で繰り返す。
諦めるのは少し悲しかったけど、
諦めたら、家族に対する熱量が
抜けた気がする。

諦めたぶん、冷たくなったとか、
優しくないと言われるけど…
私に優しくすることができない相手に、
優しくし続けることは、自分の心を傷つける
ことだった。
優しくされる事を期待してしまうくらいなら、
優しくする必要はない。

優しくしなくて良い。
優しくされなくても良い。
嫌われても良い。
嫌いなままでも良い。
自分を許した。

義父の最期に関しても
義姉や夫に期待する事も、頼る事も無くなった。
私にできることを、私らしくしているだけで良い。
それでも十分、私は二人より優しい。
比べる必要もないけどね。

長患いはお互いに苦痛だ。
義父は1日も早く、病に朽ちた肉体と、
エゴから解放されるべきだと思ってる。
義父が婿に来て、この家では怒鳴り合いの
ケンカばかりの家族でも、
義父なりに守ってきた。

私も、私なりに
家族を支えてきた。

義父は1日も早く肉体とエゴから解放され、
私達は支配、因縁、感情の連鎖から解放される。
grace(恩恵)を受けるに値すると信じている。



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