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愛はダサくない、ダサいはときどき愛だけれども
こんなことをぼんやり思っていた。
愛ってなんだろうって考えてるうちの一つの仮説である。
愛(するってこと)はダサくない。
(ここでいうダサいはカッコよくないってこと)
いや愛するってなんだ。
確か前に池田晶子さんの本の中で愛するって受けいれることだよって読んだ覚えがある。その受け入れるっていうのは例えば全然知らない人の存在を受け入れる。
そんな意味合いだった覚えがある。んー今思い返してもしっくりこない。
なんだそれ、
仮に僕が自分の持ち物、最近だと親友の一人からもらった大事なボールペンのことを愛しているとする。それは受け入れるというか、たくさん使う、大事に大事に、丁寧に使う。これが愛なんじゃないだろうか。対象がボールペンだとしたら、きっと。
大事にする=愛する
たくさん使う=愛する
丁寧に使う=愛する
って今のところこうだ。
文を書いていると高確率で自分が思っていたようにいかない。
脱線している。けれど文を書くと自分が思っていなかった展開になることが自分自身も面白い。
次は人を愛する。
聞いたことのある話だと、暴力も愛だ。っていう人もいた。
僕はー、なんだろう、ダサさも受け入れることが一つの愛だと思う。
さっきの池田先生の話と繋がってきたね。いいねいいね。
他には美味しそうな顔を見ること、、?これは愛?
まあいいか
暴力=愛
ダサさも受け入れる=愛
抽象化すると
受け入れる=愛
お、いい感じかも
美味しそうな顔=愛(?)
けどそんな感じだ。
ダサいことを受け入れることが愛。
そういえばこの前久しぶりに近くの友達とランチに行った。
その時にお寺には似つかわしくない真っ赤な鉄骨の橋がかかっていた。
その友達曰くあの橋はダサいけど(カッコよくないけれど)愛嬌がある。
橋自体はダサい(カッコよくないだったかも)けど
あそこに橋をかけようと思って、行動したその人の人柄が愛くるしいよね、って言ってた。
他には、その友達のおばあちゃんが少し前に亡くなったみたいで、亡くなったおばあちゃんの部屋にあった、真っ赤なカーペットを引き取ったみたい。
決して部屋には似つかない、決してすごーく気に入ってたわけでもない、すごーいかっこいいこともないみたい。
けれどそれが部屋にあってもいいじゃない。って言ってた。
受け入れること、それがカッコよくなくっても。
きっとそれが愛なんだ。
今なら池田先生にも愛のことが少しわかりましたと伝えられる気がしてきた。
もう会える機会なんてないから、彼女の本を読んでちょっと対話をしてみようかな。
全然関係ないけど今日聞いた歌でもアップしておこう。
時々このサイファーは救ってくれんだよな。
ありがとう。
おやすみ。
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