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その優しさが私を抉る__『劇場版エースをねらえ!』について

 本作において何よりも素晴らしいのは岡ひろみという原石が才能を開花するまでの過程と岡を取り巻くまなざしの描写、彼女を取り巻く社会、つまり構成の完成度が非常に高い点に尽きる。

 物語はテニス部の岡ひろみが新任コーチ宗方仁に才能を見出され、一年生ながらもレギュラーメンバーに抜擢されたことから始まるのだが、当然のように彼女は非難される。彼女が加わったおかげで部のエース竜崎麗華のパートナーがレギュラー落ちしたからだ。

 岡は宗方に自分は不釣り合いだと抗議するが、聞く耳を持たず岡への猛特訓が始まる。宗方は部員そっちのけで岡を指導するものだから、またもや岡は非難される。

 岡にとって彼女らの声は癒しであった。何故なら、岡は自分に才能はないと考えているし、結果が出なければさすがに宗方も諦め今までの伝統的な部活に戻るだろうと。岡を非難する声こそが彼女を肯定するという、この面白さ。正確極まりない心理の動き。

 しかし上級生の男子レギュラーメンバーは岡を励ます。この苦しさったらない。岡は彼らの宗方に発見された才能というまなざしに晒され、変身することを強いられる。彼らの優しさこそが彼女を刺し、抉り、彼女を宗方の鬼特訓から逃がさない。胃液を吐き、ジョギング中に倒れてもなお指導は続く。

 この外側からの圧力によって岡の心理が変化して行く__このヒッチコック的ともいえる手法は見事としか言いようがない。

 岡は宗方に退部を告げ、親友の牧と映画を観る。インターミッションでロビーに出て休憩する二人、岡は牧にテニス部の練習をサボっていることを咎め説教する。これがまた上手い。自分の本心をそのまま口にするんではおかしい、ので同じ状況の友人に対しての言葉として吐かせてしまう__このテクニック。このどこまで行っても言い訳してしてしまう人間の性は談志の『芝浜』のそれであり、つまり業の肯定に他ならない。

 映画が再開し、上映中にも関わらず牧はテニスを辞めないでくれと岡に絶叫し哀願する。しかし、もう岡は自分から彼女に説教をしてしまうくらいだから、変身はとっくに完了しているのだ。また練習の日々が再開する。

 コーチの宗方は協会の理事会で岡を強化選手へと推薦するが、「将来性ではなく具体的な結果を」と反論されてしまう。そう、社会は履歴書を見るのと同じように実績こそが全てであり、その尺度では岡はまだ何も成していないのだ。そしてその才能を証明する為、部の圧倒的エースお蝶夫人こと竜崎麗華との試合へと物語は加速して行く。

 宗方は岡へ何故そこまで熱を入れるのかと問われると、亡き母に似ているから、と答える。これも上手い、もしこれが恋心ならアウト。それどころか亡き母への郷愁は一時のロマンスよりも強い動機になっているし、宗方のミステリアスなキャラの裏付けにもなっている。どこまで行っても完成度が高すぎるのだ。

 本作は一貫して社会が描かれる。学校という社会、部活動という社会、協会を取り巻く社会......。彼女は宗方という権力者から才能というまなざしに晒されたおかげで、周囲からは現実とのギャップを非難され、彼女は苦しみ、変身する過程でまた苦しむ。スポコンの真骨頂はここにある、つまり何者かになること、周囲の期待に応えぬくとこ。誤解を現実のものとし、彼女らを本当の意味で見返すこと__お蝶夫人との試合後、コートに観客がなだれ込むこと。

 先日、私はアルバイトの面接を受けた。私の実態は実家で親の脛をかじりながら週に一度東京地裁に裁判の傍聴へ出かけ、あとの時間は寝るか映画を観るか母とテレビに向かって暴言を浴びせているクソニートなのだが、そんなことは履歴書に書けない。欄がない。

 私が学歴の欄に半年で辞めた脚本の学校と籍を置いているだけの大学を記入するもんだから、相手は「へ~、すごいね忙しいね」と素直に褒めてくれたりする。これがどうも皮肉ではなさそうなのが逆に傷で、実はこういった状況は一度や二度じゃないのだが、その度に私は彼らの想像上の”わたし”と現実のわたしとの狭間で苦しめられる。誰だってはじめは誤解されることに苦悩するものだ。

 これは私が撒いた種で解消するにはもう脚本を書き続け脚本家になってしまうしかないのだが、長年の怠け癖からか、才能がないのか、はたまた私へ向けられる”脚本家の卵”というまなざしの数が足りないのか__私は今日も惰眠を貪っている。

 岡ひろみは学校という社会へ出ているからこそまなざしに晒された。殊に私は単なるひきこもりで、インターネット上で何かしらの発信に勤しむわけでもないのだからまなざしに晒されることもない。両親はどこかおかしいながらも揃っているので承認欲求が人一倍強いわけでもない。別に芸術において両親が揃っていては成功しないということではないが、例えばバルザックであったり、インフルエンサーの承認欲求の強さから生じるエネルギーにはとても敵わないなと思う。第一私は国の指定している難病の患者であるし、安静が第一と医師に命じられているのだから__と言い訳をしてしまう所が私の弱さであり、人間の弱さである。

冴えないオタクに幸を