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ちょっと休憩、雑多コラム

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訪問看護師ではなく、私として・母として・妻として・親にとっての子どもとして・人としての話。
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#看護師

あなたの中の 最良のものを

「あなたのやってきた事、あなたのやっている事、あなたのやろうとしている事。 あなたの考えてきた事、あなたの考えている事。 あなたの内なる信念。 迷うこともあるでしょう。 それでも、あなたは、それで良いんですよ。」 調べ物をしていてたまたま出逢った言葉から、このように言ってもらったような気がして、ココロの芯がじんわりした深夜。 『あなたの中の最良のものを』 人は不合理、非論理、利己的です 気にすることなく、人を愛しなさい あなたが善を行うと 利己的な目的でそれをしたと言

誰かのために祈る。

随分大げさなタイトルになってしまったけれど、私はクリスチャンではないし、実家は仏教。 私が通った保育園は、お寺付属の保育園。 園長先生はお寺の住職。 本堂に飾られた大きな「涅槃図」を前に園長先生のお話を聴いた。 そして、高校はミッションスクールの女子高。 校長先生はシスター。 毎朝の祈りの時間、朝礼での聖歌、聖書の授業もあった。 「主の祈り」や聖歌は体になじんだまま、未だに覚えている。 だからと言って、私は信仰を心の中心に据えたり、神さまに祈ったりするわけではなかっ

人生は 1/1 (いちぶんのいち)ではないと思った

私の娘は、小学校、中学校、高校と吹奏楽部に入部している。 今日は吹奏楽コンクールのため、娘は始発電車に乗らねばならず、私は弁当作りのため4時起きだ。 娘が吹奏楽を始めるまでは、音楽は私の人生の中で一番遠いところにある物の1つだった。 でも、娘が吹奏楽を初めてくれたことで、クラッシックを聴くこと、吹奏楽のコンサートやコンクールに出かけることが、定例行事となった。 娘からの「お母さん、この曲知ってる?」というような会話も日常のものとなった。 もちろん、吹奏楽を続けること

私は、自分のことがずっと嫌いだった。

急に思い出したことがある。 看護学生の頃、保健所の地域看護実習。 実習指導者さんと実習以外の他愛もない話をしていた時、たぶん私の話をした時だった。 その実習指導者さんは男性だったか、女性だったかすら忘れてしまったけれど、私に向かってこう言われた。 「自分を大切にできない人は、他人の事なんか大切にできないよ。」 ・ 看護師を目指しているのは、手に職をつけ自立して、一刻も早く親の元を離れたかったから。 看護師そのものに興味がなかった訳ではないけれど、私は親から逃げるた