【心の病と向き合う】理解者がいない ―絶望との向き合い方 ―大きな孤独に苛まれた時 ―

初めまして。

私は多くのメンタル遍歴を持ち非常に認知に歪みがあるものです。

〈私のメンタル遍歴〉

統合失調症→自律神経失調症→境界性人格障害→鬱→統合失調症疑い→敏感関係妄想(今ここです)

鬱薬他は内服継続中です。

症状が緩和されてきた今、今まで抱えてきた闘病生活の膨大な情報量をアウトプットすることで、新しい情報量をインプットする容量を獲て人生の次なるステップに進みたいと考え情報発信することに致しました。

私の内容はかなり偏向しており、また全てにおいて科学的根拠に基づいてはおりません。

心の病特有の悩みや今の主治医からの助言を受けて私が感じ取り組んだこと、それらから獲られたこと等を主流にお話しできたらと思っております。

とても片寄った思考でもあるので、疲れた方は読むのを中断されて下さい。

少しでも貴方の症状が緩和されることを願っております。

また、noteの使い方がよく分かっておらずお見苦しい記事となっております。

さて、本題です。

私が心の病いを患って苦しいと思ったのは理解者がいないということでした。

それは大きな孤独を意味しました。

どうやったら和に溶け込めるのか

そのように考えましたが

結論としては病気である以上理解されうることはない

ということでした。

専門家なら理解されるのかも

と自分だけでは解決できず何とかしたいと思った私はある大学病院の精神科を受診致しました。

当時は今ほどメンタルヘルスや心のクリニックというものが世の中に浸透していなかった時代でした。

ここぞとばかりに自分の頭の中の思考を洗いざらい打ち明けました。

しかし、最終的には入院しますか?ということになってしまいました。

それはサードオピニオンを受けた大学病院全てにおいてそう言われました。

それはそうです。

病識がないということを受け入れていなかったからです。

対応するドクターや診療科にもよると思いますが

病院は症状に対する処方箋を出してくれるところであって全ての悩みを取り除いてくれるところではありません。

頼りきってはいけません。

それらの苦痛から自己を解放できるのも、症状を改善できるのも自分自身です。

もともと私は自尊心が低いので少しのことでも拒絶されたと感じてしまい

またそう受け取り自信を喪失し引きこもってしまうという負のループに陥りやすい傾向がありました。

「こんなの嫌だ」

「なんで私だけが」

私が"障害"という診断を告知され絶望した時に参考になったのが精神科医キーブラー=ロス氏の「死の受容のプロセス」です。

具体的な内容は以下です。(参考先サイト:https://miho.party/y/4001.html)

第一段階:否認 「何かの間違いだ」「信じられない」など病を現実のものとして受け入れられない
第二段階:怒り 「自分だけがこんな目にあうなんて」など怒りが込み上げてくる
第三段階:取引 「病気を治してくれたら二度と悪いことはしません」など神や人と何らかの取り引きをしようとする
第四段階:抑うつ「もうダメた」「生きていても仕方がない」など抑うつ状態になる
第五段階:受容 自らの置かれた状況を理解し、それを受け入れることができる

私はこのプロセスを経て「病気だからしょうがないんだ」と障害を受け入れることができました。

どの心理プロセスに自分がいるのかを知ることで次に備えることもできます。

実際に自分と同じ病と戦っている方はどうやって過ごしているのだろうとSNSを活用致しました。

あの医師は何も理解していない

あの医師はこの病気を何も分かっていない

中には自分のほうが病気に詳しいという意見もありました。

しかし、処方薬に頼らなければ症状が鎮静化されないのが現実

私はどの心理プロセスに自分がいるのかを知ることで心理的ストレスを軽減できました。

現状を変えたいという方はぜひ「死の受容のプロセス」を参考にしてみて下さい。

それでも死にたいと思ってしまう方

また苦しいという自己を受け入れたら死にたいと思ってしまった方へ

私たちはもともと死に向かって生きているので

その願いはいずれ叶えられます。

ではその思考に捕らわれてしまった時にどう意識から反らすか

私がしたことは

・昇華という作業(現実逃避) 睡眠含む

・薬は必ず決められた量を飲む

・神様は耐えうるだけの試練をお与えになると言い聞かせる

・具体的にどのような時に死にたくなるのかを記録する→思考が治まらない時は次回受診時の手助けとなる

・自分には眠る日が必要だと言い聞かせひたすら寝る

・どうにもならない時は無理やり外に出る

・それでも死にたいが消えない時は日夜問わず情念が消え去るまで走りまくる

・心が温まる音楽や物語に触れる

・自分より辛い経験をされている方を知る

私の場合は若くして子宮を摘出された女性がおりました。まだ未婚です。

そこから先は想像されて下さい。

死にたいという気持ちが一度芽生えるとそれは一生付きまといます。

それは病気とは無関係に身に降りかかった絶望や不幸に対しても同じことがいえるかと思います。

それらと同様に起きている症状の苦しみは自分にしか理解できません。

1人での闘病生活は孤独を増します。

ですが、誰にも理解されません。

私はそう思うことで救われました。

また死の願望に対する抵抗は一時的な逃げだという自覚は罪悪感を芽生えさせますが、決して他人とは比較せず、何があっても自分を裏切らず

自分を愛し認める

という作業をされてみて下さい。

自分で自分を育てるという感覚です。

なぜ自分で自分を育成しなければならないのか。

そのことについてはまた次回にでもお話しできればと思います。

自己分析を深めることで、その課題を見つけそれらを1つ1つクリアにしていくことで生きづらさは解消されていきます。

長くなりましたね。

結局はどうしたいのかという自分が主体となって病気と向き合っていかなければ、症状の改善は見込めないということです。

どんなに多くの方が手を差し伸べて下さっても苦しみを解放できるのは自分しかおりません。

私の場合は非常に認知の歪みがあるため極論となっております。

こういう考え方もあるのだと発想の転換や機転になればよいなと考えております。

また自分とは違う、こんなことはあり得ないと客観的に自己と向き合うきっかけとなって頂けたら幸いです。

最後に私は友達がおりません。

そんな私から一言です。

゛独りだっていいんですよ゛

゛励んでさえいれば必ず助けて下さる方が現れます゛

現状を打破したければ強くなることです。

必要なのはしがみつかないこと、自立することです。

以上長くなりましたがここまでお付き合い下さり誠にありがとうございました。

ブログ以外ではTwitter(@bochibochi0703)で日々のぼやきをやはりぼちぼちと呟いております。時に辛口で感情を爆発させておりますが、よろしかったらお訪ね下さい。

ではまた次回お会い致しましょう。

今日一日が貴方にとって素敵な一日となりますように。

By ぼちぼち

2020年2月7日
追記分

基軸を変えました

❌捨てる人生
⭕かけがえのない人生

少しでも多くの方々が救われますように

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