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雲に向かって乾杯!

33年前の記憶は、酔っぱらった時のように定かではありません。
高校の卒業式を終えたころ、父は雲の向こうへ旅立ってしまいました。いまは小さな石の下で、父の好きだった架空の生き物を描いたお酒をうまそうに飲んでいることでしょう。いっしょにお酒を飲むこともなく旅立った父を思い出すのは、雲がその生き物に見えた時です。

ぼくが中年のなかごろにさしかかったころ、我が家にコウノトリがやってきて、人生は思わぬ展開をみせます。夫婦二人でのんびりと人生を終える覚悟がちょうどできたときに、小さな命がやってきました。そのときから、遠い過去、父や母の感じたであろう想いを想像し、自分のこととして実感できるようになりました。

そんなおちびさんも小学生になり、その小さな命と一緒に空を眺めることが多くなりました。いろんな生き物が空を飛んで自由にいきかう姿をみていると、父のもとに手紙を運んでくれそうな気がします。夜にはナナツボシをさがす娘をよこに、水瓶座をさがします。雲が多いとどこにあるかわからないのですが、自分の行く方向を教えてくれるのではないかと思うのです。生まれの星座ですから。

ひとの命というのは、なぜにこうもわからないものなのでしょう。そういえば、高校時代に柔道の練習中に熱中症でなくなった友がいました。山暮らしをしていた時には、みずから命を絶った友をおくり、お棺をこしらえたりしました。残ったぼくたちは、何をすればよいのでしょうか。夏が来れば、昭和の初めの戦争を思い出し、春が来れば、必ず大震災の記憶が呼び覚まされます。祈るしかないのでしょうか。

こんなことを考えているうちに、中学・高校時代の仲間たちの顔を思い出しました。夜行列車でいろんな街を旅した仲間たち。今も元気でいるでしょうか。そういえば、高校を卒業するときにラジオのリクエスト番組に手紙を出しました。別れていく仲間たちに「乾杯」するために。
手紙はリクエストした時間にアナウンサーさんの優しい声で読んでもらうことができました。流れた曲は『乾杯』。卒業式でも歌った歌です。

とうとう半世紀、それぞれの人生を幸せに生きていることを願います。
ぼくもいま、幸せに暮らしています。
未来をつくる「おちびさん」とともに、空をみながら祈ります。

また乾杯しましょう!!



#また乾杯しよう

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