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「浪漫飛行」になれなかった「Eastern Railroad」

1990年4月に発売された米米CLUBのシングル「浪漫飛行」という曲がある。

歌詞は歌ネット参照

この曲はWikipediaにもあるように、
もともとは1987年に発売された
アルバム『KOMEGUNY』の3曲目に
収録されていたものを、
一部修正のうえシングルカットしたものだ。

そしてWikipediaによると、制作当時から
「航空会社のCMソングとしてオファーが来ないか」
と狙って作ったという
(Wikipediaに詳細な出典あり)。

Wikipediaではない何かでこの話を聞いて
(1990年頃には聞いた話だったように思う。出典はない)
私が思ったのが、

「タイミングが合えばきっと、
杉山清貴&オメガトライブ
『Eastern Railroad』
にJR東日本からオファーがあったんだろうなあ」

ということ。

この「Eastern Railroad」は杉山清貴&オメガトライブ
3枚めのスタジオアルバムとして1984年12月に発売された
NEVER ENDING SUMMER』の2曲目に収録

されたもので、Wikipediaの解説にもあるが
杉山の作曲では珍しい16ビートの曲に
なっている。
歌詞はAWA参照
※↑のYouTubeの画像に出ているので、
『NEVER ENDING SUMMER』の
ジャケット画像は省略。

この歌は杉山の伸びる高音そして、
ところどころに出る切なさが感じられる曲。
だから何らかのカタチでシングルとして
出ないかなと思ったし、
私は当時、田舎に住んでいた子供だったが、
有川万沙子の歌詞にあるような

想いはせつなく流れて
時に愛を遠く離れて
ひとりたどる
銀のラインRailRoad
誰かあてに
ペンを取るのも
忘れてたよ
ずっと

出典は上記AWA

そんなことが将来、あるのかなあと思っていたなあ…。

レールが囁く
さまざまなエピソード
胸にとどめたら
いつかは君に話そう
失くしかけた
想い出のかけら
拾いながら
走りぬけるRailRoad
ゆれるシート
読みかけの本
懐かしさを抱く

大事なほほえみに
今なら気づくだろう

出典は同じくAWA


ところで、杉山清貴&オメガトライブが解散したのは
1985年12月
そして国鉄が分割民営化されて
JR東日本が誕生したのは、
1987年4月
運が悪かった。
ソロになった杉山は、
オメガトライブ時代の楽曲を引き継がなかった
(解散の経緯も影響しているとみられる)
わけだが、もし引き継いでいたら、

「Eastern RailRoad」が
JR東日本のCMソングになっていた

かもしれない。
運が悪かったとしか言いようがないと思うし、
とても残念だ。


歌詞を読むと、時代が変わったのがよく分かる。
手紙は今、メールを経てLINE等に代わり
(書いている方もいらっしゃいますよ)、
紙の本ではなくKindle等の電子書籍を読む人が増えた。
いや、それ以前に今はスマホとにらめっこか?
村井純JUNETを始めたのが1984年9月とのことだから、
『NEVER ENDING SUMMER』の発売は
その直後なんだね。
村井も含めて、こうなるとは思ってなかっただろうね。

今は昔の話でした。

★追伸
※罫線は、下記記事よりお借りしました。

https://note.com/t0m0y0/n/nca41c35d08fc

短期間で消す裏垢なので、ご挨拶できないのがなんともね…。
後で、こっそり表垢に行かせるかな?

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