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覚悟をもって生きること

時間は有限で、一生のうちにできることには限界がある。
そんな当たり前のことを最近はよく考える。

前職で働いていた頃は目の前のやることに精一杯で常に仕事に追われている感覚が常にあり、(あるいは忙しさに甘えて考えてこなかっただけかもしれないが‥)自分の人生や生き方についてしっかりと向き合って考えることをしてこなかったように思う。この春に転職し、定時上がりが普通となり時間が急にできたこともあり、最近は自分のこれからについて考えることが多くなった。

自分はどのような生き方をしたいのかというと、一言で言えば「地に足のついた仕事や、生活をしたい」ということになるだろうか。漠然と、地方暮らしに憧れがあり、自然豊かな場所で農業や林業、地域情報の発信などその地に根差したローカルな営みに対して自分もいつかはそのような働き方や暮らしができないかと考えていた。毎日残業で土日を楽しみに日々を過ごすように、仕事と生活を切り離して考えるのではなくて、自分が居心地がいいと思える環境で仕事と生活の境が曖昧になるような生き方をしたら毎日忙しくても充実した気持ちで過ごせるのではないかと考えた。そしてこの春に思い切って鳥取県に移住をした。

まだ働き出して数日ではあるが、今は主に林業を教わっている。力仕事である上、危険を伴う仕事で常に緊張感をもって動く必要がある。とても大変な仕事ではあるが、やりがいはあるし、なにより森林の中で働くことは気持ちがいい。今はひとまず日々教わることをしっかりと自分のものにしていくことに注力しようと思う。林業業界は厳しいとよく聞くが、今後のことも含め林業全般について勉強していこうと思う。
あとは、お金の不安もある。収入は下がるし、自分としてもずっとこのまま働くことは難しいと考えており本業とは別に自分のやりたいことを実現するためにスキルや経験を積んでいきたいと考えている。

この1・2年のうちが自分がこれだと思う仕事や生き方を見つける最後のチャンスだと思っている。これは主に年齢的な理由から。
そしてこれを実現するのに必要なことは「覚悟」と、「常に思考を止めないこと」ではないかと思う。

自分の今までを振り返ってみるとなんとなくで歩んできた人生だったように思う。なんとなく興味があるから。なんとなく楽しいから。なんとなく評判や世間体がいいから。なんとなく将来安定そうだから。。
そんな「なんとなく」で選んだ選択に対して、本気で向き合うことをいままでしてこなかった。選んだことに満足してしまって、そこから先、努力をして極めることができたものって今まであっただろうか。何かと理由をつけて途中で投げ出したり、諦めたりしてきてばかりだったように思う。「自分で選んだはずなのに、選ばされたと思いたい」好きな歌手の歌にこのようなフレーズがあるが、まさにそうだった。働いているうちに、このままでいいのかという不安感が日に日に大きくなっていった。
何かを選ぶことはほかのものを手放すこと。代償だってきっとあるし、それはしょうがないのだと思う。でも、その選んだものに真正面から向き合わないでいたら、何もつかめないままだ。そうやって手放したものにばかりに目を向けていたって、そこからは何も生まれない。あるのは後悔だけだ。そんな時間はとてももったいないし、無駄だ。
選んだのなら、覚悟を持って、精一杯その環境で頑張るしかない。環境を変えたって、結局自分を変えないとおんなじことの繰り返しなんだ。

最近は未来が怖いと思うことがある。そんな時にはこう考えるようにしている。
人生って、一本道なものじゃなくて、無数に枝分かれした木のようなもの。そこには正解や不正解なんてなくて、違うと思ったら引き返したり、違う道に進んでみればいい。「何が幸せか」は人ぞれぞれのもので自分にしか決められない。もしも進んだ道が思っていたのと少し違ったと思う時は、一旦立ち止まって、そこから伸びる道を改めて眺めてみればいい。今までやってきたことは決して無駄なんかじゃないし、きっとやってきたことは未来を照らしてくれる。ただ、次につなげるのは紛れもない自分自身で、つなげることができるものは、本気で精一杯向き合って取り組んできたものだけだ。中途半端に取り組んできたものはそこで終わる。

とにかく、今選んだ道でできることややれること、やりたいと思ったことに精一杯取り組むこと。そしてその中で考えることをやめずに、常に自分はどうしたいのか、何ができるのか、やりたいのかを考え続けること。
「地に足のついた生き方」。自分の人生を生きるというのはきっとこういう地道な試行錯誤と努力の先にあるものなんじゃないだろうか。

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