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ジャズのことはあまりわからないけれど

人生で初めてジャズバーに行った。

アルトサックス一本とピアノ一台とベース一本。
三人しかいないのに、無限に音が出てくる。

コード進行しか書いていない楽譜を見て、というかほぼ見ずに、お互いの音に触発されながら音楽を作っている。
リアルタイムでその人が頭に浮かべたメロディをそのまま聞けるなんて、その人の頭の中をのぞけるみたいでわくわくする。

吹奏楽やオーケストラを聞きに行くと「さあ、素敵な音楽を準備しました。どうぞあなたの為に演奏しますからゆっくり聞いていってください。」と椅子をひいてエスコートされた気分になる。
フルコースを食べにレストランに来たみたいだなと思う。

ジャズはジャズで全く別の雰囲気だった。とにかく奏者の人たちが一番音楽を楽しんでいて、「絶対楽しいし最高だから聞いてっちゃえば??」と言われているような気分になった。
ケバブの屋台に行ったみたいだと思った。

表現としてあっていたか不明だけれど、私は一人で二万円のフルコースを食べに行くか検討するくらいコース料理の特別感が好きで、卒業式の帰り無性にケバブが食べたくなって袴のままたべちゃうくらいケバブが大好きだというのは分かってほしい。

本気で楽器やジャズに取り組んできた人だからこそ出せる余裕のあるラフさがたまらなかった。

5曲目くらいでベースの人が早弾きをしていて、あんなの絶対指が痛くなるなあと思っていたら「あー指いてー」と曲中に言ってて客席がドッと笑った瞬間があった。この瞬間が、それはそれは最高だった。あの一瞬でジャズがより大好きになってしまった。

やっぱり自分はライブ感が好きなんだな、と再認識した。

そしてもう一つ印象に残っているのはピアノソロ。

マイク無しのピアノのジャズにみんなで浸る。
奏者の人が今引きたい音を、届く範囲にだけにしっとり響かせている。

特別な時間だと思った。

ピアノにじっとみんなが寄り添っているように見えて、その時間は確かにここにいる全員がひとつのピアノから流れる音に耳を傾けていた。

このくらい近い距離で人に何かを届けたい。

小さな吐息とともに「すご…」って囁いちゃうくらいの声が
圧倒的な演奏に思わずにやけてしまうその顔が
はっきり分かるくらいの距離で。

小さな世界に閉じこもると、やっぱり妬みとか恨みとかそういう「み」が増えてくる。

私が好きなのは旨みとか甘みの「み」なのに。

だから世界のサイズを小さくするって意味ではなくて、大きな平たい世界の中に自分がいて近寄ってきてくれた人と指の痛さに笑ったりひっそり音楽に体を揺らしたりしたいんだなと、そんな感じの人生がいいなと思った。

私にとってあの時間ははそんな感じだった。







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