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思い出の整理

赤いちゃんちゃんこを来た私は誰のかわからないECHOを瓦の上で2本続けて吸って小さなひとつ落とすのでした。突然やってくる虚しさや悲しさはいつから訪れるようになったのでしょう。今日、実家の小屋で探し物をしていたら少女だった時代の母を見つけました。小さな箱には可愛らしい手紙やどこかのお土産のピンバッチ、アクセサリーそして知らない男の人の切り抜きの写真が入っていました。私はそれをダンボールの奥の方に詰め込み腕組みしながらその場をウロウロと歩き回りました。私宛では無い手紙、これからの人生プラン、母は母である前に1人の人間だったのです。私はその事実が受け入れられず、またそんな自分を受け入れられませんでした。私はいつまでも、少女のような浮ついた心が抜けきれずに20を過ぎてしまったのでどう大人になるのか未だに分からずにただなんとなく日々を過ごしているのです。母も同じように自分が何者か分からずに葛藤していた時期があったということが受け入れらず、一人の人間である前に母は母であって欲しかったと思ってしまう自分がとても情けなくて悲しいのです。大人になりたくありません。母親になりたくありません。私はずっと私のまま死んでいきたいんです。その癖、自分以外の人にはすぐ名前や枠組みをつくるので呆れます。世の中見たくないものが多すぎます、世の中知りたいことが多すぎます。矛盾が矛盾を呼んで私の頭の中が壊れそうです。無知は罪だと言うけれど、最近は敢えて無知を選ぶことも一種の生存戦略のように思えてきます。


家の至る所に〆切とかいてあるので、友達に漫画家いるの?ときかれたことがある。
大量のVHS。テレタビーズやピングーが好きで繰り返しみていたのを思い出して懐かしくなった。
ひいじいちゃんの肖像画。とても似ているが本人が気に入らず、倉庫にしまってあるそうだ。
聖書のような本が沢山あるが、これらは全て父のものである。父はキリスト教に疑問を持っていたと言っていた。
大好きな大阪のおじさんの写真集を見つけた。
この人は本当に人を撮るのが上手い。言葉が通じない相手でもすぐに打ち解けるから不思議だ。
チェスは将棋よりも簡単らしい。
誰とは書いてないけど多分、佐野元春。他にも何枚か佐野元春らしき男性が描かれてあった。
神話の絵が書かれた箱の中には石とティッシュに包まれた黒いゴミみたいなものが包まれてあった。後からそのゴミみたいな正体聞くと私のへその緒だそうだ。私はへぇとあいずちをうった後、急いでゴミ箱の中のへその緒を元の場所に戻した。
 幼少期の父の写真。
からの 高校生の時の父、catch me if you can並に胡散臭い。
オーストラリアのお土産に北海道のお土産。馬のパペット人形と大好きだったオルゴール…懐かしすぎて抱きしめた。

自分の思い出、父の思い出、母の思い出。認められない、思い出したくない、誰かの私の思い出。いつかいつか認められるまでその日までこの子達はまたいつか。母のケープコートと大島弓子の本とチェスだけ持って小屋を後にしました。


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