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中川大志に助けられてぇ

先日、友人からこんな相談をされた。

辛そうな人、大変そうな人を助けてあげようと声をかけたが、その助けを断られてしまった。そして断られたことに対して不快感を抱いた。ということのようだ。

おそらく、彼は「助けてあげよう」という気持ちの先に、「その人が差し伸べた手をつかんでくれる」つまり、「快く私に助けられてくれる」という『期待』があったのではないか。

人間関係における不満は基本的に『期待』からしか発生しない。

例えば「A君に○○してほしい」という『期待』があって、A君が期待通りのことをしてくれなかった時、はじめてそこに対する不満が生まれる。

彼も同じ事が言える。「助けを受け取ってくれる」という期待が裏切られたからこそ、不快感を抱いてしまったのだろう。


じゃあどうしたら良いのだろうか。

ワタシは、断られたら「仕方ないかな」と思うようにしている。

当然の話だが、助ける側に「助ける」or「助けない」の自由がある一方で、助けられる側にも「助けてもらう」or「助けてもらわない」を選ぶ権利がある。つまり、助けてくれる手がたくさんあったらそれを選べるということだ。だからもちろん自分の差し伸べた手がはねのけられる可能性など、いくらでもある。

例えばもし自分が女の子で、中川大志とその辺の男の両方が「助けたろか?」って言ってきたら当然中川大志に助けてもらいたい。悲しいけれど当たり前の話だった。”sad but true” なのである。

ワタシ達は中川大志では無いということにいい加減気づかなければならない。目を覚まそう。


たとえそうだったとしても、「やはり手を差し伸べ続けていかなければいけないな」とワタシは思う。自分の仲が良い人、大切な人が困っていそうだったら声をかけてあげたい、「どしたん、話きこか?」と。

それで「お前の助けなどいらないが???」といわれたら仕方がない。「あ、そうすか。じゃあ他の奴助けますわ」といって引き下がるしかないんだよな。

ここでいちいち「僕は君のこと一番大切に思っているのに、どうして理解ってくれないんだ~(以下省略)」みたいなことしてもキモいだけだしな。気持ちはわかるけどそういうの、かえって逆効果なんだよ。


「助けなどいらない」といわれたとしても、腐らずに困ってそうな友達に手を差し伸べていきたい。たとえそれが本人にとって必要ないものだったとしても。

(了)


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