世界は【名詞】で作られている
9年前に心に響いたニュースを思い返している
時折紐解いて日々の自分の甘さ加減に鞭を入れていきたい
若くして認知症の診断を受けた男性の手記
この人の『言葉』は生きてる
よく読み、心に刻んでほしい
誰にでも起こりうる可能性がある事も知ってほしい
【以下抜粋】
<世の中は名詞で埋まります。「認知症」と突然、医師から告げられて、後から私は認知症になりました。(中略)ただの記憶の忘却がその瞬間に「認知症」という重い病の雨になって降り注いできました>
<「薬を出します」と雷鳴が鳴り響き、踏切が突然、閉まり特急電車が走る。なのに私は何も動けない、不安ばかりが洪水となって流れこむ、それは認知症だから>
<でもそれ以上に、世界から名詞がどんどん剥がれていく。コーヒーカップが消えたりする魔法にもよく感染します。何でもない日常生活が、いつも冷や冷やしてかなり疲れます>
「複雑化してスピードを求められる社会は、認知症の人には生きにくい。忘れたり、道に迷ったりすることを責めたりしない、寛容な社会になってほしい」と男性は語った。
<世界は鬼ごっこをして私の前からよく消えますが、でもやれることを全てやりたいと思います。応援をお願いします>
忘れるということは、ただ単に忘れるということではなく、大きく穴を開けた傷に塩をすりつけるほどの痛みがあります。
いつも会っている人の名前が驟雨(しゅうう)の如く流れ消え去る。それは大事な世界を落としたことになり、自分自身が崖に滑落したような大きな痛みと悔しさにあふれる。
(中略)
あなたがあなたであるということは、記憶の森に住んでいるからである。私はどんどん砂漠が広がり始めて自分すらも見失うのである。
ひとつの名詞の大切さを今は思う。世界は名詞から創造されており、私はそこから剥がされようとしているのだ。それは恐怖なのである。認知症とは世界への大きな恐怖を伴っている。
あなたが認知症の患者を見る。しかし認知症者にはあなたを区別ができない。名前がないからである。記憶も未来もまた忘却によって喪失してしまう。
多分これから私は名前のない砂漠のような世界に暮らすのではないかと思う。いつか愛する妻も忘れるのだろうか。それだけはやめてほしい。