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悩みや心配事に直面したとき

これまでは「です・ます」調でnoteの記事をアップしてきたけど、今回は語尾を変えてみようと思う。なんかこっちのほうがしっくりくる。

僕は「Bobbyのゆるラジヲ」というラジオを配信している。9月から始めて、最初のほうを除き毎日配信中だ。かれこれ1ヶ月以上、スマホに向かって収録しては配信する毎日。

ラジオにはレターという機能がある。

リスナーさんが僕にメッセージを送れるお便り機能だ。ありがたいことにこのレターが毎日届く。ディズニーのおすすめのレストランや今の時期の楽しみ方、パークの混雑状況など、やはりディズニー関連が多い。

そして、その次に多いのが人生相談系の質問だ

ラジオではかなり長くなってしまうので、人生相談系の質問にはあんまり答えられていない(すみません) 。仕事や人間関係などさまざまだが、僕も似たような経験があって共感できる内容が多い。

できれば1人1人の質問に丁寧にお答えしたいけど難しいので、ここで僕なりの考えを書こうと思う。悩みや心配事に直面したときに、僕が意識してやってることだ。

「いつかは笑い話にできる」

自分のもやしメンタルが危機を迎えるとき、僕はこう考えるようにしている。

「いつかこの出来事は、笑い話として誰かに話せる」

これを考えるだけで、ふっと気持ちが楽になる。

割と心にダメージがある悩みや出来事でも、「あとでこのエピソードを話したら、笑ってもらえるかな」と妄想して、すでにその時点でニヤニヤしてしまうこともたまにある。

それくらい、「いつかは笑い話にできる」という思考は威力がある。

例えば今日。

僕は道を歩いていてスマホを落とした。ただスマホを持って歩いていただけなのに、手からスマホが滑り落ちた。

結果、僕のスマホはコンクリートにぶち当たり、裏面が割れた。

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4-5年位前の僕だったら、

ああ最悪だ
なんてツイてない日だ
これから悪いこと続くのかな
修理代いくらかな

と悲観する。

ただ「いつかは笑い話になる」と考えると、むしろこの起きたイベントを楽しめる。

「あ、割れた。誰に話そうかなこの話。けっこう笑い話になるな」

こう考えるようになる。

実際に僕は、割れたあとにすぐこの話をラジオで話そうと決めた。そしてワクワクした。1-2分はへこんだけれど。

スマホが割れた日の夜、実際にラジオでそのエピソードを話した。リスナーさんからもコメントをいただき、笑い話として終わった。

仕事や人間関係で悩んでも、最後はネタになる

スマホが割れて凹むことと仕事・人間関係で悩むことは、ダメージの大小はあるにせよ本質は同じだ。

仕事や人間関係で仮にいま悩んでいても、長期で見ればそれが将来の笑い話のネタになる。当然僕も過去にいろいろ悩んだことがあるけれど、当時の悩みは誰かと話すときの自虐ネタだ。自虐ネタはみんな笑ってきいてくれる。

最近、こんな本を読んだ。

「1%の努力」という本だ。「2ちゃんねる」を開設したひろゆき(西村博之)さんが書いた本である。たまたまブックオフで見つけて、面白そうだなと思って買った。

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この本に、僕がもやしメンタルを支えるためにやってることがドンピシャで書いてあった。

本の後半で出てくる、「最後にはすべて笑い話にできる」という章だ

ちょっとでも救いになることを最後に書いておこう。
それは、世の中すべて「ネタ」だということ。
受験がうまくいかなくても、就職が決まらなくても、事業で失敗しても、お金がなくなっても、
家で友達と酒を飲みながら自虐を言えば、ゲラゲラ笑ってくれる。
それに代わる人生の楽しみが、他にあるだろうか。

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僕は高校受験も第1志望に受からなかったし、大学受験も第1志望に受からなかった。数学が苦手で、最後まで克服できなかった。

その話も、今ではなかなかネタになる。落ちた当時はすごく落ち込んだ。当の本人は受かると思っていたから、余計に落ち込んだ。

が、落ちたことはいま笑い話として、色んな人との話すネタになる。落ちた人の気持ちも分かる。

「こんなひどい目にあったんだよ」
「あれほど落ち込んだことはなかったぜ」

と、いつか笑って話せる日が来る。

そう思って毎日を過ごすと、悩みや心配事も違って見えてくる。

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