今があるということは

キナリ杯の締め切りが迫っている。
やばい。ぎりぎりにならないとやらない癖が出てしまった。

そもそもこの賞を知ったのは締め切りの3日ほど前だから、しかたないかもよ?
と自分に言ってみた。

とはいえ土日めちゃめちゃ時間あったよね。その間に家でウイスキーのコーラ割りとか作って飲んじゃって眠くなってめちゃめちゃ昼寝とかしちゃってたからね。
と、自分が言ってきた。

この2日間、キナリ杯に参加しようと、2つのテーマで途中まで作ってみていた。

ひとつは、高2のときに精神的にやられてしまったことに始まり、大学4年のとき社会に出るのがこわくてこわくてたまらず、就職活動をしたくないと塞ぎ込み、だけどもう働かないと生活ができないから、と覚悟するまでの何年かの話。
思い出して書きながら、「そのときの自分をこうして思い出すことは今も少し怖いと感じるんだ」ということがわかった。
もう31歳なのに高2のときの自分がまだ可哀想に感じられるし、周りから「なにもしてないやつ」と思われないように、死んだ顔でリクルートスーツを着て、エントリーシートを出してみて、就職活動してるふうにしていた大学4年生の自分もなんだか不憫に感じられた。
高2の私を抱きしめてあげたい。
大学4年の私の頭を撫でて「社会の荒波ってよく形容するけど意外とそんなに怖がることもないよ」と言ってあげたい。

そんな気持ちになりながら、スマホのメモ帳を閉じた。

そのあと考えた話は、4月までいた、生まれて初めての「尊敬」という感情を私に教えてくれた元上司についてのこと。

上司のありがたみについてつらつら書いていたら「あの人はなぜこんなに誠意を持って接してくださるのだろう。なぜ私をこんなに気にかけ、認めてくれるのだろう」という泣きそうな気持ちになった。

それから、あんなに人が怖くて、就職活動ができなくて、普通の人にはなれないんだ、一生私にとって人生って怖い場所なんだ、と考えていた自分が、今大好きな元上司について書こうとしているなんてすごくないか?と気づいた。

あのときものすごく怖い場所だと思ってた社会で、こんなに尊敬する人に出逢って、影響を受けて、ちっちゃいけど自分にも還元しようとしてる私が今、いる。

人生ってよくわからないな。でもおもしろいのかも。たまにやっぱり怖いけど、でも、おもしろいのかも。

そんな気持ちになりながら、この文章を書いた。

#キナリ杯

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