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【マシュマロ返答】こだわりは持ってはならないのか

いつも応援いただきありがとうございます。びねつです。
今回はマシュマロの返答をしていきます。


こだわりは持ってはならないのか

質問いただきありがとうございます。
先日のツイート内容でわかるとは思いますが、せっかく記事にしたので私の立場をはっきりするための話も交えて話します。

要点
・こだわりは元々否定的な意味合いの言葉である
・こだわりは意識的に扱うものではない
というのが私の主張です。

解説していきます。


こだわりは元々否定的な意味合いの言葉である


こだわりについてググると以下のような文がヒットしましたので共有します。

「こだわる」は、本来「気にしなくてもいいようなことが心にかかる。気持ちがとらわれる。」という意味で、どちらかと言えば否定的な意味合いで使われることが多かった。たとえば「ささいな失敗にこだわる」などのように。これが、気持ちがとらわれるという意味から、妥協しないという肯定的な意味に転じたものが新しい言い方だと思われる。

https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=243

こちらにもあるように元々こだわりは否定的な意味合いで使われることが主だっていたんです。それが気持ちがとらわれることから妥協しないといった意味に転じて、肯定的に使われるようになった背景があります。

私はこの源流に沿った否定的な意味合いで「こだわり」という言葉を認識しています。なのでそもそもこだわりを前面に押し出すのに違和感があります。

絵でもなんでもそうなのですが、自分なりの解釈をするには自分なりの定義をする必要があります。その際には言葉だったら元々の意味や、今の意味となった背景の理解が欠かせません。

そこまで理解した上でこだわりを口にするならいいと思うのですが、「こだわり」とつけておけば一定の評価が得られたり、言及を回避できるものだと捉えて(いるような意図が見える)用いている方が多いのが実情です。


こだわりは意識的に扱うものではない

ウケるためのアクセサリーとして何かしらの要素や属性を取り扱うのは最近だとさまざまなところで見ますね。見慣れている私たちは自然と影響を受けて、ウケるためのノウハウとして蓄積していくわけですが、これを意図的に扱うのは危ういです。

わかりやすくシンボル化されたものに惹かれるのは仕方のないことなのですが、それを相手が自然にそう認識するのならまだしも、明確に相手の誤認を誘うように用いるのは、何かを作ったり表現している人間として不誠実なことを露呈することになります。


作家がこういった近視眼的な方法を採用するのが厳しい理由としては、不誠実であることが作家としての活動限界を狭めてしまうことにあります。

ネットの発達によりその時々の自分に合ったコミュニティを行き来することが容易になりましたが、同時に自分の評判も他者に伝わりやすくなりました。評判の重要度が上がったということです。

人間関係における悪評のほとんどは不誠実さから生まれます。
他者に敬意を払い、尊重し、思いやることを忘れなければ、大きく評判を損なうことはないというのが私の考えです。

もし自己の利益を優先して他者を陥れることに後ろめたさを感じなくなってしまったら、コミュニティを通り抜けていくだけで人間関係に必要な知見や経験の蓄積が進みません。関われるコミュニティも年々少なくなっていきます。戻ることのできない片道切符的な活動では、心理的にも現実的にも底が見えてくるのが早いです。

もし持続的に、安定的に、フェアでクリーンに活動を続けていきたいと考えているのなら、どんな技術や知識を身につけるよりも誠実であることが大切です。
自戒も込めてここに書き記しておきます。


終わり


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