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【マシュマロ返答】誰とでも仲良くしたいが些細な言動から距離を置いてしまう

いつもお読みいただきありがとうございます。びねつです。
今回はマシュマロの返答をしていきます。

新生活で新しい環境に置かれた方々にはうなずける部分も多い相談なので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。


誰とでも仲良くしたいが些細な言動から距離を置いてしまう

誰とでも仲良くしたいんですが相手の些細な言動で傷ついたり不快になってしまって、距離を置いてしまいます。(これをやめてくれ、こうして欲しいという要求を押し付けるのも違うなと) そのせいでなかなか友人が増えず困っているのですが、びねつさんはそういうのあったりしますか?また、どう葛藤を乗り越えてますか? (関係ないですが、いつも相談系のメッセージに真摯に返答している姿尊敬します。ご無理なさらないよう…)


私も似たような時期があったので相談者さんのお気持ちはお察しします。
新生活の時期ですし、多くの方が新しい人間関係に悩むのではないでしょうか。とりあえず始めに結論いきますね。


結論
・他人は変えられないので自分が変わりましょう
・もっと物事を高い解像度で見ましょう

です。
それぞれ説明していきます。


他人は変えられないので自分が変わりましょう

同じ人(Aさんとします)と関わるとしてもAさんと仲良くできる人と仲良くできない人がいるのですが、それぞれ何が違うのでしょうか。
当たり前ですがAさん自身は変わらないので、Aさんに接する人が違うとわかります(当たり前ですが)。

基本的に人間関係はこういったもので、合う人は合うけれど合わない人はとことん合わないです。自分の人間性を偽って、合わない人と接する機会が多くなるような生活に設定してしまうとしんどいです。

大学や会社といった社会の枠組みの中にいる限りは、どうしても多種多様な人と関わる機会がでてきます。その際に合わないから、嫌だから、得意でないからといった理由で機会自体を避けることはほとんどできません。

一度逃げられても二度、三度と続けて逃げられることはまれですし、そんな強運に期待するくらいなら、腹をくくり、その都度その機会から学びを得て、自分を変化させる糸口を探る方が建設的です。現にこうした痛みを伴う経験から人は望みを現実へと変化させていくものです。

自分というものの存在が大きくなるほど、人と人の相性は些末なものとなり、行きつく先は人や環境のほうが自分に合わせて変化するようになります。このことからも他人を変えようとするより、自分を変えることをおすすめします。


もっと物事を高い解像度で見ましょう

ではどのように自分を変えていけばいいのかといったことについては、もっと世界の解像度をあげましょうということになります。

実際に相談者さんの文章を例に解像度を上げるとはなにかをお伝えします。
解像度を上げるためにはまず問いを立てます。
※以下の内容はあくまでも私が相談文から予想したものです。実際の相談者さんの考えとは異なる可能性があります。


たとえば相談者さんの「誰とでも仲良くしたい」に対しては「なぜ誰とでも仲良くしたいの?」と理由に関する問いが思い浮かびます。

対談だと答えは相手から聞き取るのですが、今回は相談文の内容から予想します。答えは「友人を増やすためしかたなく」です。

「誰とでも仲良くしたい」といった割には相手の些細な言動を許容できず、仲を整えるために必要不可欠な交渉や意見の主張も行わない。友人との関係を維持する努力もあまりせず「友人が増えず困っている」と主張していることから、友人を増やすことが一番の目的なのではないでしょうか。なのでそこまで誰とでも仲良くしたいわけではないのだと予想します。

目的と手段の結びつきが強ければ理不尽を許容できたり、相手へ理不尽を強要できたりと、本来人間は願望を実現するための力が強いのですが、そのためには自分について解像度高く知る必要があります。
自分の発言や行動の理由を問い、理由にあった目的や手段をたてることができれば傷つくこともなく、葛藤もなく、自分の望むことを実現できるはずです。


理由が特に大事なのですが、それは相談者さんのこれからの自問自答におまかせして、最後に今後の相談者さんの役に立つであろう動きをいくつか提示してみます。


関わる人を制限しよう

今の自分が関わりたいタイプの人、今の自分が関われるタイプの人、今後関わりたい人、それぞれを定義しましょう。できる限り詳しく多くの要素を書き出して、現実で関わる範囲にいる人がそれぞれどのタイプに当てはまるのか照らし合わせます。
そこから外れる人は今までと同じように傷ついたり不快になることのほうが多い人ということになります。

ここで定義することで自分が大事にできる人というのがわかります。大事にできないタイプの人を大事にしようとするのは自分にとってもたいへんな苦労が生じるものですし、気持ちの伴わない行動はただのポーズでしかなく、相手に対してとても不誠実です。

これを読まれた方で「人を区別して人によって行動を変えるのは不誠実」といったことを思われる方がいるかと思いますが、私からすると人を区別せずに心身の乖離した行動を続けるほうが自分の心と相手との関係に対して不誠実だと考えています。


関わる場面を制限しよう

上記のタイプ分けされた人と現実的にどんな場面で関わることが多いか、どんな場面で関わりたいか/関わりたくないか、それぞれ定義してみましょう。
大学ならあいさつする程度なのか、一緒に講義を受ける程度なのか、議論する程度なのかなどいろいろな場面を想定しましょう。

これは相手に依存する範囲を定義しています。
どれだけ仲がよく、相手を知っていても所詮は他人です。講義の代返はできても肝心の卒論発表や就活のその瞬間は誰の手も借りられず、自分のその身一つで戦わなければならないときが必ず出てきます。
これは人生で発生する大きなイベントすべてに言えます。なにも受験や就活、出世、結婚といった昔から他人によって決められている大きなイベントだけではありません。本人が大事だと思うか、大事だと思えるかで決まります。

ざっくりいうと、ひとりでがんばらなきゃならない場面のために他人と協力することや、人と一緒にいるためにも自分ひとりの時間が、ひいては自分の人生が大切なのです。

他人のためにも自分のためにも、人と関わるのは用法用量を守って適度な距離を取りましょう。



終わり

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