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[制作日誌] 『この世界の(さらにいくつもの)片隅に 美術画集』

こんにちは、BNN編集部の松岡です。
このたび10月14日に、この世界の(さらにいくつもの)片隅に 美術画集を刊行いたしました。劇場アニメーション作品『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』で描かれた背景美術をまとめた、美術画集になります。
映画・原作ともに『この世界の片隅に』のファンだったわたしが、この美術画集をかたちにするまで。今回はこの場を借りて、本書がどのようにして制作されたかを綴りたいと思います。

(※記事の最後に、片渕須直監督と美術監督の林孝輔氏によるサイン本発売についてのご案内があります!)

(1)作品のこと/背景美術のこと

片渕須直監督による、『この世界の片隅に』(原作・こうの史代/双葉社)は2016年11月の公開以降、連続上映1千日を超え、異例のロングランヒットとなった作品です。映画祭などでも数々の賞を受賞し、10年先にも残る珠玉のアニメーションとして、国内外を問わず高い評価を受けました。
舞台は戦時下の広島・呉。主人公・すずをはじめ、戦禍の中で日常を生きる人びとの心の機敏が、とても丁寧に描かれています。綿密な時代考証を経て作り上げられ、立ち上がってくるリアリティを通じて、今のわたしたちの生活と地続きであることが感じられるような作品となっています。
この前作から約30分の新たなシーンが描き足され、2019年12月に公開されたのが、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』です。
アニメーションの背景美術とは、キャラクターの後ろに描かれる背景の絵のことを指します。作品の世界観を表現するうえで、非常に大きな役割を担っています。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』では、美術監督を林孝輔さん(でほぎゃらりー所属)が担当。約1430枚の背景美術が描かれました。日本のアニメーションの背景美術は近年デジタル化が進んでいますが、本作では画用紙にポスターカラーを用いて描かれています。手描きならではの温かみがあり、とても生き生きとした味わい深い絵になっています。

(2)編集について

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編集をしていく上ではじめに行ったのは、画集に載せる絵を選ぶこと。すべての絵を載せたいくらい、一枚一枚がスタッフさんの手によって丁寧に描かれている素敵な絵ばかりなので、選ぶのはとても心苦しい作業でした。しかし画集として成立する内容にしなければ、読者の皆さんに本として届けることができません。作中で描かれた時系列、場所の関係性などを整理して絵を選び、構成を固めていきました。……ここだけの話ですが、いまも思い出すのは、編集をしながら何度もひとり涙していたこと。背景の絵や絵コンテを見ながら作業していたのですが、個人的に思い入れのあるシーンが多く、それらを思い出しながらよく泣いていました。絵を見るだけで、あの愛おしいキャラクターたちのふるまいや息遣いが、ありありと目に浮かんでくるのです。

(3)デザインについて

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内容が決まれば、いよいよデザインの工程です。今回、CHProductionの内古閑さん・中島さんにデザインをお願いさせていただきました。上の写真は、表紙の紙を決める打ち合わせの時のもの。すずさんのスケッチブックをめくるような読書体験をつくりたかったので、イメージに合うピンク色の紙を選んでいます。最終的に「レザック80つむぎ(ばら)」という風合いのある紙に決まりました。
打ち合わせを重ね、仕様やデザインが決定しました。中面のレイアウトもとても美しく洗練されていて、世界観にすっと浸っていくことができるような素敵なデザインにしていただけました。スリーブケースは両A面のような仕様をご提案いただき、表1側、表4側のどちらも飾りたくなるような仕上がりになっています。

【デザイナー・内古閑さまによるコメント】
原作『この世界の片隅に』が好きだったので、アニメ化が決まった最初のクラウドファンディングにも参加していました。その後まさか自分が「公式ガイドブック」、そして今回の「美術画集」にも関わるとは思っていませんでした。だからこそ、「自分だったらどんなデザインが良いか、どんな佇まいなら欲しいか」を考えてデザインしました。
今回は、すずさんの見た風景でもある美術画集ということで、彼女のスケッチブックをイメージした表紙に。ページデザインも画像を裁ち落としや角版にすることにこだわらず、画像の端をラフなまま残したりといったように。
それを包む三方背ケースは、部屋の片隅に飾られた写真のような……本棚に仕舞われた想い出のアルバムのような……ふとした時にすずさんたちの日常、作品を思い出すスイッチになればと考えていました。
手にしてくださった方が長く時を重ねて出来る擦れや日焼けによって「すずさんのスケッチブック」が完成されるのかもしれません。

(4)取材について

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本書では背景美術のほか、片渕須直監督、美術監督の林さんのインタビューも掲載しています。取材をご担当いただいたのは、藤津亮太さん。緊急事態宣言が発令されていた4月の某日、監督にオンラインで取材をお願いしたことも、印象深い出来事です。藤津さんならではの視点で、お二人がどのようなこだわりや意図をもって表現されたのかを伺うことができ、とても読み応えのあるインタビューとなりました。被爆した中島本町にある大津屋のカットや、原作では描かれていない映画オリジナルの海軍第十一航空廠の防音試験場が描かれるまで。また、背景メイキングを通じ、林さんが絵を描く際にどのような工程を経て仕上げているのかも紹介しています。

(5)色味について

画集において一番の要となるのが、印刷です。美しい背景美術の数々を、できるだけ作品のイメージに合わせながら、綺麗に印刷することを目指しました。印刷は、精興社さんにお願いさせていただきました。精興社さんは普段よく絵本の制作などをされていて、とても実力のある印刷会社さんです。
本文用紙はどんな紙にすれば、絵とうまくマッチして、綺麗に見えるか?と模索し、2種校正を経て「モンテルキア」という銘柄に決まりました。絵が映えるような明るめの白い紙で発色もよく、画用紙のように少しざらついた感じのあるやわらかい紙質です。作品の淡くふんわりしたイメージに合わせるため、また背景スタッフの手描きの筆跡をできるだけ残すため、紙選びにもこだわりました。
下の写真は、4回分のテスト校正の比較です。写真だとわかりづらいかもしれませんが、細部にいたるまで何度も色味の調整をしています。データはRGBですが、紙に印刷する場合はCMYKに変換する必要があるので、彩度が落ちてくすんだり色味がズレないよう注意が必要です。たとえば植物の緑色はとてもデリケートで、カラーインキ量のバランスのわずかな乱れで色味が
大きく変わるため、調整に苦労しました。また、背景で描かれた季節、時間帯、天候などによる色の差を出せるように努めています。劇場のスクリーン上で表現された作品世界を、できる限り紙に落とし込むため、試行錯誤を重ねました。

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プリンティングディレクターの加藤さんには、絵を一枚一枚、何度も補正作業をしていただきました。下の写真は、加藤さんがモニターで色補正をしている様子です。周りに入り込む光の影響で色の見え方が変わるので、ときには暗室に置いたモニターを何度も往復して確認したり、絵の中でも部分的に調整を行ったりと、とても細かな作業をしています。ただ単に絵全体の色味や彩度、濃度、コントラストを考えるだけでなく、どこをどう捉えれば絵の印象が変わるか?この絵はどのように見せるべきなのか?ということを踏まえ、見て頂いています。加藤さんが長年培われた技術と感覚に支えられ、理想の色味へと少しづつ近づけていくことができました。最後まで粘り強くクオリティを追求する姿勢は、まさに職人仕事です!

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監督や林さんには色味のご確認をいただき、沢山のフィードバックを伺うことができました。下の写真は、監督に色校チェックをお願いした際の写真です。「ここの赤みをもう少し抑えめで」といったようなご指示だけでなく、作品内で描かれた瀬戸内の海の青さや、湿度の低いからっとした空気感、伝統色についてなど、映画の制作において重視されていた色味のポイントも伺うことができました。監督は色に関する造詣が深く、さまざまなアドバイスをくださりました。こうしてお二人にご監修を頂きながら、修正を重ねていきました。

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【プリンティングディレクター・加藤さまによるコメント
これまで絵本等の制作でさまざまな形態の原稿(原画)を扱ってきましたが、この美術画集ではマスターモニターと呼ばれる実際にアニメの色調整に使われたディスプレイが貸し出されました。劇場で観る時のように、真っ暗な部屋の中でこのマスモニに映る色を印刷で再現するようにとのオーダーでした。
つまり今回のお仕事では暗室内で観るマスモニが原稿となるわけです。いつも使っている印刷シミュレーション用のディスプレイは明室作業が前提ですので、マスモニと並べて比較することもできません。全く前例のないことで当初は戸惑いの連続でしたが、そばに暗室を作って出入りを繰り返して色を近づけていきました。
特にテスト印刷の途中で片渕監督から直接ご指摘を頂く機会があり、そこから飛躍的に色の再現性が高まりました。監督の解り易く的確な指示の賜物と確信しています。

(6)印刷について

色味の方向性が確定し、校了したあとは、いよいよ印刷の工程に入ります。印刷の現場では、気温、湿度、紙や版の状態、インキ量などなど、様々な要素が印刷に影響します。大きな印刷機で一気に大量に刷りますが、とてもデリケートな調整が必要になります。データで調整が終わったあとも、オペレーターの方が印刷機の調整をしながら、刷り上がりを確認していきます。下の写真は、その印刷時の様子です。下段左は、製版された版です。CMYKの4色を掛け合わせることでフルカラーになりますが、そのCMYKのバランスの調整がとても難しく、紙の上に転写するインキの量も想定しなければなりません。調整を重ねた結果、とてもよい刷り上がりとなりました。

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(7)完成!

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こうして無事に刷了し、製本を経て、ついに本が完成! ケースや製本、表紙の箔押しも美しく、とてもよい仕上がりになりました。ここまで沢山の方のご協力と温かいご支援をいただき、かたちにすることができました。


『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は、多くのファンの方に愛されている作品です。そして何より、作品のクオリティは凄まじく高いもので、映像からは制作スタッフの皆さんの血の滲むような努力がうかがえます。時代考証を徹底して描かれた戦時下の広島・呉の町並みを、空気感まで含め、画集でもきちんと表現したいと思いました。中途半端なものにしてはいけないと、プレッシャーを感じながら日々制作に臨んでいました。
制作にあたっては、監督や林さんをはじめ、デザイナーさん、ライターさん、印刷会社さんなど、作品を愛するすばらしいメンバーに恵まれて制作することができました。ご監修やご調整をいただいた関係各社の皆さまにも、深く感謝申し上げます。制作チームのそれぞれのこだわりが、これでもかというくらい詰まった一冊になっていますので、是非たくさんの方に見て頂けたら幸いです。
美術画集を通じて、作品を別の視点で見たり、新たな発見をしたりしながら、皆さんに楽しんでいただけたら嬉しいです。個人的には、どの絵が好きだとか、この絵のここが良いとか、本を片手に皆さんと語り合いたいくらいです(笑)
長文となりましたが、ここまでお付き合いいただき、どうもありがとうございました。本書をどうぞよろしくお願いいたします。(BNN編集 松岡)

この世界の(さらにいくつもの)片隅に 美術画集
現在、全国の書店やネット書店などで好評発売中です。
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【書籍情報】
ISBN:978-4-8025-1186-5
定価:本体3,600円+税
仕様:B5判変型/240ページ/スリーブケース仕様
発売日:2020年10月14日

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