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『動きそのもののデザイン』試し読み、および本書への推薦のことば

本日9/29発売の書籍『動きそのもののデザイン リサーチ・スルー・デザインによる運動共感の探究』より、冒頭の「はじめに」のテキストをご紹介します。
また、その前に、水野大二郎さんと久保田晃弘さんよりいただいた推薦コメントも掲載しています。
ぜひ読んでみてください。


本書への推薦のことば

「動き」のデザインに関する方法論と、リサーチ・スルー・デザインの双方について触れられた本書は、「本」という静的なメディアの中で、「動き」(運動共感エレメントの抽出とそのデザイン方法)と、「リサーチ・スルー・デザイン」(創造的実践行為の中に身をおくことで自らの視点や考え方の変容させる、いわゆる状況との対話)が相補的で動的な関係のもと分析されるという意欲的な構成である。

本書の独創性は多岐に及ぶが、特異的なのは、博士課程後期においてどのように実践的研究を推進したのか、その実践的研究の成果には何があったのか、そして自らの視点や考え方がどう変化したのかを省察すること、これら3つの要素の折り重なりからなる構成である。

つまり、ドキュメンタリー映画のような構成で「過去、現在、未来」を自由に再接続しつつ研究活動全体について語られている点は非常に興味深い。一人称的でモイストな語りと三人称的でドライな語りの組み合わせも、この構成をより豊かにしているともいえよう。

また、本書は研究者だけではなく実務者にむけても書かれている点は注目すべきである。新規のデザイン開発の現場においては綿密な計画を策定し、プロセスの最初から最後までを実施前に書き示すことが求められる機会もある。そうすると、実際に起こる紆余曲折や問題設定、あるいは文脈そのものの再定位など、起こり得る豊かな可能性が縮小されてしまうと感じる人は多い。このような方法は「科学的方法」ではあるが「デザイン的方法」ではないと捉える認識、つまり、新たな産業創出のための設計方法としてのリサーチ・スルー・デザインの可能性の探索もまた重要であろう。本書は、新規のデザイン開発に携わる実務者にとっても有益なデザイン主導の開発のあり方に関する視点を提供する、貴重な資料であるといえる。

現在、「動き」のデザインは、マンマシン・インタラクションからより広義の「動き」に広がっている。一造形要素としての「動き」のデザインにとどまらず、物質循環のような「動き」が注目を浴びる昨今においても本書が明らかにした設計方法論が応用可能であることは間違いない。理知的でありながらも感情的である本書の構成が、読者にとって「デザインにおける研究とは何か」という新たな地平を拓く手がかりとなることを期待したい。

水野大二郎(京都工芸繊維大学)

僕が三好さんと初めて会ったのは、もう10年以上も前、三好さんが多摩美術大学と東京大学の協働で進めていた「ARTSATプロジェクト」に参加してくれた時だった。当時三好さんは工学部の航空宇宙工学科に在籍していたが、その頃から僕らが多摩美で行っていたメディアアート教育やコーディングのツールにも興味があり、ミーティングの合間や終了後にいろいろ質問してくれたことを今でも良く覚えている。その後、三好さんはロンドンRCAのInnovation Design Engineering専攻の博士課程に進学、見事学位を取得し、その成果はまず『Designing Objects in Motion: Exploring Kinaesthetic Empathy』(スイスBirkhäuser社)として出版された。本書はその研究を核としながらも、さらにその背景となるリサーチ・スルー・デザインの起源やストーリー、さらには博士取得後の新たな展開をも含んだものとしてまとめられている。僕自身、幸運なことにこの本の執筆に伴走することができたのだが、改めて読み返せば、三好さんが本来持っていた横断的な好奇心とも相まって、普遍的でありながら同時に個人的でもあるという、既存のカテゴリーのどこにも属することのないような、稀有なデザイン書となったように思う。

そんな多義的、重層的な内容の中でも、個人的にまず着目したいのは、本書の中心的な成果の一つである「15の運動共感エレメント」と、そこで指摘されているレイコフ&ジョンソンの「イメージスキーマ」の関連である。共感を、構造の(部分的)共有と捉えれば、それは広義のメタファーでもあり、その後のイメージスキーマ研究として精力的に展開されている、言語学や哲学を超えた脳科学や心理学、あるいは人類学からのアプローチに、すなわちより普遍的な人間の身体的、経験的スキーマの解明に、本研究はデザインの側から直接結びついていくはずだ(すでに本書で仄めかされている)。もうひとつの本書の核であるリサーチ・スルー・デザインを、デザイン研究の自己言及的アプローチ、すなわち(サイバネティクス同様の)「セカンドオーダー・デザインリサーチ」とみなせば、それは、デザイン理論家のトニー・フライが近年提唱しているデザインに関するデザインフィクション、すなわち「セカンドオーダー・デザインフィクション」と表裏一体のものとなる。はたして三好さんが「まだ名付けられていないもの」をいかにしてひとつずつ名付けていくのか。本書の隠れた(しかしとても重要な)魅力は、ベイカー街221Bのシャーロック・ホームズさながらの、スリリングなデザイン推理小説の部分にあるのかもしれない。

久保田晃弘(多摩美術大学)


はじめに

 本書は「動き」のデザインに関する新しい方法論を示すものである。プロダクト、デバイス、ロボットなどの人工物の動きの設計に携わるデザイナーやエンジニアに向けて、またスクリーン画面上のさまざまな動きを設計するデザイナーやアニメータに向けて、動きの観察とデザインの新たなアプローチを提供する。このデザイン方法論の構築に至るまでに私が行ってきた研究や、ここで提案するデザインのプロセスやプロトタイプの具体例についても紹介していく。
 動きのデザイン論という本書の主題の裏には、もうひとつのテーマが隠れている。それは「リサーチ・スルー・デザイン(research through design)」と呼ばれる、その名のとおり研究者自身がデザインの実践活動を通して新しい知識の創出を図るという研究手法である。リサーチ・スルー・デザインという言葉が使われ始めてから三十年にも満たないが、今ではその手法自体をテーマとする国際学会も生まれ、デザインの学術界で注目を集めている。本書は、リサーチ・スルー・デザインを基本姿勢として行ったひとつの研究プロジェクトを一冊の本の中に丸ごと記録するという、いまだ類を見ない試みでもある。デザインリサーチやデザイン方法論に関心を持つ読者にとっては、リサーチ・スルー・デザインの具体的な様相に加え、このアプローチが今後の産業において持ちうる価値についても考察する機会になるだろう。
 動きは私たちのまわりのさまざまな物体や環境に用いられている。たとえば秒針のチクタク、ファンの回転、自動ドアの開閉のような物理的な動きもあれば、スクリーン上の画面遷移のアニメーションのような平面的な動きもある。人工物における動きの多くは、何らかの機能を達成するために施されている。一方で、動きが硬さや柔らかさ、重さや軽さといったさまざまな身体的な質感を見る者に感じさせるのも事実である。たとえば私たちは、風になびくカーテンを見て、同じように風に吹かれたときの感覚を想起したり、バタンと大きな音を立てて閉まる扉を見て(または聞いて)、身体を打ちつけるような痛みの感覚を覚えたりすることがある。見覚えならぬ、「感じ覚え」のある動きや現象を見たとき、私たちの身体はそれに共鳴してしまう。この「感じ覚え」の法則を解読することができれば、人工物のふるまいが人々の中に呼び起こす感覚について、より自覚的にデザインできるようになるかもしれない。そしてこの可能性を探る鍵は「運動共感(kinaesthetic empathy)」と呼ばれる現象にある。
 運動共感とは、ある動きを観測した人が、観測した動きを擬似的に感じるという知覚現象を指す。たとえばダンスを観賞しているとき、たとえじっと着席していたとしても、ダンサーの動きを擬似的に感じてしまうことがある。まるで内なる自分が、目にした動きを模倣しようとするような感覚や衝動が湧き起こる。これが運動共感である。私たちが、他者や、人間と似た構造をもつ動物の動きに対して運動共感を覚えるのは、ある程度理解できるだろう。しかしカーテンや扉のように、そもそも生き物でもなく、形も人とは程遠い物体の動きに対して、私たちの身体はどのように共感しているのだろうか。非生物の物体の動きに対して抱く「感じ覚え」には、何か法則があるのだろうか。試行錯誤を経てたどり着いたのは、物体への運動共感を可能にする、身体感覚の断片のような存在である。これらを「運動共感エレメント」と名付け、現時点の結論として十五に分類した。
 運動共感エレメントは、たとえば傾き、張力、触覚のように、身体運動が私たちに感じさせる多様な感覚のうちの特定の要素を指す。ただし実際に私たちが経験する身体感覚を、これらの要素に完全に還元することはそもそも容易ではない。そうした不可分な性質を前提とした意味での「エレメント」である。運動共感エレメントは、ひとつエレメントが見つかると、それが別の新たな要素を見つけ出すためのレンズとなるといったように、段階的に特定されていくものである。そして私は、このプロセスが、研究中に起こった私自身の感性の変化そのものを映し出していたのだとのちに気づくこととなる。動きという現象を研究するという行為自体が、研究者である私の感性を変容させていた。リサーチ・スルー・デザインは、このようにデザインや観察を通じて生まれる発見を紡ぎ合わせ、新たな知識体系を作り出すという研究のかたちを指している。
 観測した物理現象に運動共感エレメントを見出したとき、私たちは「感じ覚え」を抱いてしまう。前述の例でいうならば、風に揺れるカーテンに対しては傾きや張力などの要素が、勢いよく閉まる扉に対しては関節や触覚などの要素が含まれるだろう(その根拠や仕組みについては本文に譲りたい)。運動共感エレメントは、動きについての新たな着眼点を見せてくれるレンズになる。一度そのレンズをはめた者は、レンズを外したと思っても徐々に運動共感を読み解くことができるようになってしまう。そしていざ自分が動きをデザインする際には、勘に頼るのではなく、自分の感性をもとに意識的に動きのエステティクスを判断できるようになる。動きに対する鋭い感性は、まったく新しいデザインのアイデアにつながることさえある。読者には、本書を読み進めるなかで起こる、動きに対する自身の感性の変化を楽しんでもらいたい。

 本書は、四つの章に序章と終章を加えた計六つの章で構成される。序章では、本書の研究のきっかけや背景となる歴史について簡単に振り返る。第一章では、デザインのなかで動きがどのように扱われてきたのか、まず身のまわりの例についての観察と考察から始める。加えてテクノロジー関連分野やアート分野における動きと比較するなかで、語られざる運動共感の次元に焦点を当てる。第二章は、本書に記される知識がいかに築き上げられたのか、リサーチ・スルー・デザインの観点から説明する。第三章は、運動共感の十五のエレメントについて、その具体例となる現象と共に解説する。第四章では、運動共感による動きのデザイン方法論(「キネステティック・デザイン」と名付ける)について、具体的な手法や、プログラムとしてのあり方について考察する。そして終章においては、キネステティック・デザインのこれからの発展について、私の現在進行形の考えを記す。
 なお、本書においては主にふたつの目的で注を付している。ひとつは、引用元や参考元の文献情報、そして映像へのリンク(URL)を示すという目的。もうひとつは、本論に本質的に関わるわけではないものの、読者のなかには疑問をもつ人がいるかもしれないので先回りして解説しておこう、といった補足的な目的である。よほど個々の文献に関心があったり、または些細な議論についても把握してから読み進めたかったりしないかぎり、注をひとつひとつ追わなくともさしあたり問題はない。


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