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松岡正剛の訃報に接して

編集工学研究所所長の松岡正剛さんが、8月12日にご逝去された。肺炎だという。ヘビースモーカーで知られる松岡さんにとっては、本望かもしれない。今年1月にもNewsPicksで落合陽一と対談していて、声のハリがないように感じられたが、まさかその半年後に亡くなるという感じではなかったので、驚いた。

私と松岡さんとは、ISIS編集学校を通じての縁だった。かなり初期の編集学校に入学し、守破離のうち、守破は修了したものの、離は二度挑戦して、二度とも断念した。松岡流の編集術を身につけるこのプログラムは、特に離については、松岡正剛の思考でなければならない、固有性の高いもののように思え、どうしても没頭するまでに至らなかった。どこまでいっても松岡印が刻印されている方法論に、抵抗感が拭いきれなかった。

福井県の敦賀駅でたまたま立ち寄った駅前の本屋さんが、いかにも編工研っぽいと思ったら、まさにそうで、しかも過去の偉人の名言が掲示されている中に、松岡さんの言葉も入っていたときには、苦笑いをしてしまった。「私がやったのだ」という印をつけずにはいられない人なのだと思った。

その意味で、「型」の人ではなかったと思う。型の重要性を強調し、その型を学ぶための編集学校を立ち上げたわけだが、その松岡流の型は、ついに無名性を獲得するまでに至らなかった。編集工学研究所の今後も、松岡正剛の色を拭い去ることは難しいだろうと思う。別の言い方をすれば、どこまでも自力の人であったように思う。フラジャイルをキーワードにしていたが、松岡正剛自身は強すぎた。もっと早く、編集術の完成を諦め、誰かに委ねるべきであったが、そうでなかった。そのように、私の目には写った。

それにしても、縦横無尽に概念をつなぎ合わせる力強い(言い方を変えれば強引な)編集術は、アカデミックな世界にはすこぶる評判は悪かった。ウェブで書き連ねられた巨大なデータベースである千夜千冊は、専門家から批判されることもあった。しかし、生成AIが出てきた今、あれが人力生成AIであったするのは、もちろん松岡さんには大変失礼な話ではあるが、理解はしやすい。私が思うのは、もうちょっと弱い書き振りであれば、受け入れやすかったのではないかと思う。ChatGPTは間違えればすぐに謝るが、松岡さんの文章はそうした批判をはねのけるオーラが漂っていた。

一度、「松岡さんが頂点にあるヒエラルキーではだめではないか」的な話を松岡さんに直接して、たいへん叱られた。松岡さんは、もっと降りられたほうがよかったのではないかというのは、今でも変わらない。亡くなられた今、ようやくその座から降りられるのではないか。松岡さんを崇め奉るような文章を書かないことが、私にとっての追悼である。

小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授

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