ケースは現実に接地するか
先週に引き続き、「Building a Culture of Innovation」の授業。先週はオンラインだったが、今週は対面という構成になっている。先週にはできなかったインプロビゼーションのワークなどを取り入れた、ダイナミックな授業を行った。
名古屋商科大学の授業は、すべてケースメソッドで行われる。ビジネスケースを読み、主人公になったつもりで意思決定についての議論を行う。企業文化の授業であれば、文化が失われつつあるときにどのように対処すべきか、といったことが題材となる。そこでは、当然だが、言葉によるディスカッションが行われる。
このディスカッションはとてもスリリングではあるものの、少しだけ気になることもある。言葉で言えることであっても、それがリアリティを持つかどうかは別だということだ。これは、AIの課題でもある記号接地問題である。言葉では言えても、実際にそれができるかどうか、リアリティを持つかどうかは別問題である。
例えば今日、「同じ会社内で、異なる人事評価制度を導入する」というアイデアが出た。失敗を前提とする新規事業領域において、既存の事業部と同じ人事評価では、機能しない。両利きの経営を行うにも、異なる人事評価制度を導入するべきだという議論もある。アイデアとしてはありうる。
しかし、今回のケースにおいては、いわゆる出島のような小さな組織の議論であり、その組織のためだけに新たな人事評価を導入することは、現場感覚としてない。100%ありえないとは言えないが、厳しい。人事評価といえば、平社員から管理職までカバーする。その導入のリアリティに、言葉が「接地」していないのだ。
言葉というのは、記号であり、その記号の連なりを支えているのはロジックだ。ロジックでつないでいけることと、現実で実現可能かということとは、もちろん大きな断絶がある。人間が犯すもっとも大きな犯罪というのは、この言葉と現実のギャップから生まれるものなのではないかと思う。一方で、言葉と現実のギャップによって歴史が動くこともある。たとえば志士たち現実を正確に知っていたら、明治維新も違う形になっていたに違いない。ロジックは、正しく間違え、その間違いが失敗を生み、また偶有的な成功をも生み出す。
ただ、こうした発言へのフィードバックの仕方はなかなか難しい。こちらも、なにかエビデンスがあるわけではないし、ケースにもそんな情報は書かれていないので、さっと否定もできない。一方で、このケースでは人事評価制度の導入の議論がメインでもないので、それについて深堀りする時間もない。時間があれば、人事評価制度の導入のリアリティについて議論できるが、この日の議論にとっては、あまりに横道だった。人事系の経験を持つ学生からの「それは難しい」という発言を引き出して、次に進んだ。
実務者を教育するビジネススクールとして、ここで現実に接地させることは重要ではあるものの、接地させるための現実が教室にはない。ケースメソッドでは、その現実を知る学生の発言によって、間接的に接地する。ケースメソッドは、記号接地問題に対する、教室で実現可能な解のひとつである。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
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