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#1 エンジニアになるまで何をしてきたのか

まだ自己紹介のようなことも書いていないので、自分が何をやってきたのか、振りかえってみたいとおもいました。

学生のころ

わたしは理系で、博士課程まで大学にいたので、学生時代が長かったです。新卒で27歳ですから、いい年ですよね。

地方の大学だったので、割とのんびりしていたと思いますが、勉強は大変だった記憶があります。

大学生の時は、交換留学で1年間アメリカにもいきました。留学時代は、自分の専攻とは別の勉強がしたいと思って、そこでコンピューターを学びました。

この時は、学期中はほぼ実験室やら図書館にこもって、ついていくのに一生懸命でした。ブレッドボードと、74シリーズのロジックICでプロセッサ組んだのは良い思い出です。このころの体験は、今の原点になっているように思います。

日本に帰ってきてから、1年分の単位を自分の大学の単位に互換してもらって、卒業しました。いうなれば、1年分正規の授業は全く受けていなかったわけです。しかし、その後、特に困ったことは起きていないので、大学の授業とは何だろうかと、今でもよく思います。

今の自分が、当時の自分に、何か言えるとするならば、とにかくストイックにいろいろなところに行き、いろいろな体験をして、もっと勉強をしておけと言うでしょう。

通過点としての研究者

自分が研究者だったというのは、おこがましいとは思うのですが、学生として学位を取った以外でも、大学での研究に携わっていたこともありました。

複数の研究室、先生方と関わってきましたが、いずれも世界的な功績のある、一流の先生方でした。

わたしは、学生の時には、本質的には理解できていなかったと思うのですが、研究者の使命は、新しい人類の知を増やすことにあります。

基本的に、論文を書かなければ学位は取れないです。論文を書くには何か新しい仮説を考えて、それを実験するなり、何かを作って実証するなりするわけです。自分が博士論文を書いたときは、論文を書くこと自体が目的化していたように思います。

本質的に、自分の研究でなにができると、それが新しい人類の知になるのか。そこを愚直に考えて、貫いていける人が、研究者としての職をまっとうできるように思いました。

そんな中でも、ある装置開発に関わり、世界的にも有名な論文誌に載るような研究成果を生み出す機会に関わることが出来ました。それは、とてもうれしいことでした。

そしてエンジニアへ

企業に所属するエンジニアとしての期間が、わたしの職業人生の中で大きな部分を占めます。

エンジニアに限らず企業人としての使命は、技術を事業として世に出して、世界の経済を、よりよく成長させていくことではないでしょうか。

これもやはり、目の前の仕事をこなすときにはなかなか見えづらくなります。しかし、本質的に、技術は事業として世に出て経済が回転しないと、価値になりません。失敗すると、事業が縮小して無くなってしまいます。これまでに、身をもって体験しました。

エンジニアとしては、メカ・電気設計や半導体開発などのハードウエア開発をやっている時期もありました。また、組み込み、アプリケーション、クラウドに至るまでのソフトウエア開発をしていたこともあります。ディープラーニングを使ったAI開発も取り組んでいて、幅広い経験があります。

特許もこれまでに30件以上は出していて、そのうち半分程度がすでに成立して権利化されています。

今働いている会社は、いわゆるスタートアップ企業で、必要なことは新しいことでも何でもやって、世に新しいものを出していこうと常に挑戦しています。

この、技術を世に出すところを埋めるのが、エンジニアの仕事だと思っています。わたしはこの仕事を当分の間は続けたいと思っています。

今は結婚して子供もいて、これまでの体験をもとに、子供たちにどうやったらよりよい未来を渡せるだろうかと考えます。

思うところを、また書いていければと思います。

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