神を信じないあなたへ

「あなたは神を信じますか?」

なんて宗教の勧誘で聞かれたという経験は誰でもあると思います。大抵反応としては。

「神様なんているわけない。」

「神がいるならどうして世の中に悪い人がいるんだ。」

「宗教なんて金儲けの道具だ、神様もそのためのでっちあげだ。」

などがあると思います。

別に宗教の勧誘をしようってわけじゃないんですが果たしてそういう考えでいいのかと、私は疑問に思うわけです。何故か。神は人が望んで生み出したものだからです。この際、造物主としての神が存在するかどうかという話はわきに置いておいて

我々には神が必要なのか

という点に注目していきたいと思います。

神の歴史を遡ると、自然信仰からはじまり、精霊などといった概念が生まれ、それがやがて神格化され体系化された後、多神教へと昇華されました。それは自然への感謝や恐れなどといった感情を適切に処理するための道具だったと言えます。精神衛生上神や精霊が必要だったわけです。やがていろんな神話が統合されてくると誰が一番強いか選手権が開催されるようになり、主神という役割が生まれます。今でも漫画やアニメがクロスオーバーするとどのキャラが一番強いかという議論がされるのと同じです。最強のスタンドはどれかみたいな不毛な議論です。ファンの多い神は必然的に偉くなります、最強の能力をもってたり、人間に何らかのメリット与えれくれる存在とかですね。逆に嫌われると悪魔とみなされるようになります。自分の推しが一位じゃないと納得いかない人々によって度々地方でみんなが勝手に推しを主神として扱うことがあり、そのせいで戦争が起こり、なんやかんや言って

「めんどくさいから神様一つにしない?他は全部悪魔ってことで。」

という発想を経て一神教が生まれました。しかしユダヤ教が成立した後、キリスト教やイスラム教など生まれ、さらに同じ宗教の中でカトリックとプロテスタント、スンニ派とシーア派といったふうに分裂が起こり、結局人間はいがみ合うことをやめられなかったわけです。神が万人の父であり、人類がみな兄弟であるならば、何故人間同士が争わなければならないのか。何人が生み出したはずの神が人を苦しめるのか。それはやはり、宗教の基盤を築き上げたのが教会であり、それに属する知識階級の人間が一方的に宗教がどうあるべきか決定してきたからに他なりません。聖書やコーランが読めない人間は教会の人間の言うことに従うしかない、もし背けば村八分にされる。民衆が何か疑問に思ったとしても、反論すらできない。プロテスタントですら結局は聖書というものをベースにしており、それを疑うことが許されない。これでは根本的に何かが間違っているときにその宗教内で自浄作用が起こりえない、ここが致命的なのです。

私は無宗教ですが無神論者ではありません。神がいるかいないかなどという我々にはわかりようのない疑問などどうでもいいのです。重要なのは我々に何が必要であるかです。そしてそれを知るためには時には何かを疑わなければならない時だってあります。ですが最終的に一番大事になるのは

何を信じたいか

なんです。幸せになるためにどういう考え方が必要で我々が願う世界がどんなものであるかを明確にして、その理想を信じて、ひたすら前に突き進むこと、その姿勢が最も大事なのです。私が信じたいもの、それは人の善意です。人を助けたいと思う気持ち、慈悲深さ、人を思い時に厳しく接する心、私は私の中にある人類に対する兄弟愛のようなものが他の人にもあると信じたい。この気持ちありか、誰かにやさしくされた経験や、親からの愛情、そしてもって生まれた私の気持ち、このすべてのありかを私は神に見出すのです。最高善としての神、人類の父、正しい道を示してくれる偉大な存在。人類を一つにし、幸福にするための共通の良心、すなわち倫理や道徳としての神が我々には少し欠けているように感じます。人類はかつてないほどの進歩した技術と物質的な豊かさを得た、だから今こそ精神的な豊かさを得るための道を模索するべきなのです。人間は弱く、この世のすべてを知りえない。その限られたチャンスの中で愛を知った者は幸福です、そして幸福とは他者の存在があって初めて維持されるもの。自分一人だけが幸福になることはできないですし、道徳が崩壊した社会ではいつ背中を刺されるかわかりません。人間は社会的な生物なので他人に依存して生活している、誰かが自分のために仕事をして自分も誰かのために仕事をしている、であれば他人を信用しなけれないけないのは当然のことなのです。人を信じず冷たく接すれば不幸が伝染する、それは自分にも帰ってくるもの、それを避けるには隣人を信じ、隣人に感謝し、そして間違いを起こした時にはお互いに許し合うことが大事なのです。中でも一番大事なのは感謝をする心。相手の存在をありがたく思い、感謝する事こそ愛であり人間が共同体の中で生活するために必要不可欠なものです。我々の中には善意があり、愛が眠っている。それをもつことは正しいことであると私は信じたい。それによって自分の中にある愛を呼び起こすことができるのならば、あなたは神を信じますか。

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