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法学部のすゝめ

はじめに、学部選びについて

「18のガキにやりたいことなんてあるわけないやないか」というのが、当時の私の感想であった。
高校を出て働く気は毛頭なく、いやそもそも集団行動ができないから「働けない」が正しいか…、とにかく学費が安い国立大学にでも入ろうかと思ったまさにそのときであった。
都市部の方についてはよくわからないが、地方出身だからなのか身の回りに大学について教えてくれる人はいなかった。そのため「潰しがきく」とされる法学部(どこかの国立大)に潜りこんだ。

結果的によかったことだと私は受けとめているが、同じ悩みをかかえている人が多そうなので、法学部卒の私が悩んでいるだろう『君』にこの雑文を贈る。
なんでそんなことをするのかって?
大人になるとな、無性に他人に優しくしたくなるときがあるのさ。今までそうしなかった分。

どんな人が向いているのか

「現代文が勉強していなくても昔から出来てさらに、疑り深い人」
あまり長文を書く時間もないので、結論から書いたがこれは結構自信がある。

まず「現代文が勉強していなくても昔から出来て」と書いた理由であるが
法学部に入ると、とにかく"テキスト"に基づいて考えたり、論述を行うことがやたらめったら多い。
そんな状況で「俺、文章慣れてなくてさあ」とか言ってる場合ではない。
経済学部にでも行ってください(先に謝っておきます)

"テキスト"と書いたが、どんなテキストかというともちろん六法もそうだが、何より裁判例やそれについての論評を読まねばならなくなる。


判例についての論評が多数記載された文献の例

そのような営みを通し、ただ条文を読むだけではなく理解するのが大学での法学部での学習、そして研究につながる。
では、ここでいう理解とは何か。

そもそも法律学というものは、法律の条文に論点を見つけ議論を深めていくもので、論点を見つけるところに「疑り深い人」という要素が活きるのである。
論点を見つけ、それについて答案に論述するというのが学部レベルでの理解であると考えてもらって差し支えない(試験をパスするのにとどまらず、論文を書いてみたい!となれば話は別であるが…)。

と言ってもよくわからないと思われるので論点を見つける例として、日本国憲法第25条第1項についてとりあげる。

第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

ここで考えていただきたいのは「健康で文化的な最低限度の生活」とはどういったものか、ということである。
家にエアコンがあるのは"最低限度"の範疇だろうか?
自家用車を所有しているのはどうか?

上記のようなトピックについての議論はなされているので(以下サイトを参考にされたい)、それを踏まえて
https://say-g.com/right-to-live-1156

"乙さんは病気によりしばらく働けなくなった。彼は持ち家に住み、自家用車を所有している。住んでいる地域は公共交通機関が乏しく通院にはその自家用車が欠かせない。
このような状況にある乙さんが生活保護受給を申請した場合、生活保護制度の根拠法たる日本国憲法第25条に照らして受理されるべきか論ぜよ。"

とこのようにテストで出題されるわけである。
「健康で文化的な最低限度の生活」という、抽象的概念をどう解釈するかが論点になる。
このような抽象的な言葉だけでは、
実運用の際(このケースにおいては生活保護申請を受理するかどうか)にどうすればいいかわからないため、法律には解釈が不可欠となるのである。

今まで見てきたように、法律学は「この解釈で果たして現実に対応できるのか?」という考えなしには、疑うことなしには成り立ち得ないものである。
であるから、「信じて騙される方が、人を疑い続けるよりずっとマシだ」というような甘ちゃんには向かないと思われる。

疑ってこそ、疑ってもなお、それでも信じられることに価値があるんじゃあないのか。
疑うことが学問の営みになる学部であるということが伝われば幸いである。

余談だが、法学部に入る前と卒業後で性格が変わるのはよくあることだそうである(指導教授にきいた)。

何がよかったのか

問題点を分解して、見る習慣がついた

日本国憲法第25条第1項は「健康で最低限度の文化的な生活」という論点一つだけであったが、数多ある条文の中にはそういった論点が複数あるケースが存在する。
現実においても、困難というものは複数の問題を孕んでいることが多い。多すぎる!

怒っているだけでは解決しないので、複数の問題点を一つずつ分解して取り組まなければならないのだが、社会においてはこれができない人が案外多い。

例えば「文系学部出身で業務未経験からプログラマーになりたい(新卒ではなく)」というとてつもない問題(結構難しいらしい)に向き合わなければならない状況を考えてみる。

なぜこれが難しいかというと、プログラマーという技術職を学校で学んだわけでもない、仕事でやった経験もないやつに任せるような方はなかなかいらっしゃらないからである。任せてみて、「できませんでした~」ではお話にならない。おそらく任せた人はその上司から、「なぜやったこともないやつに任せたのか」と詰められろくな返答ができないだろう。

そのような理由で、「文系学部出身で業務未経験からプログラマーになりたい」という夢だか目標は潰えるケースが散見される(ツイッター調べ)のである。
それは、難しい問題を難しいまま考えるからである。

言い換えると、問題点を分解せずに考えるからだ。
だから、なにをどうすればいい良いかわからないまま時間が過ぎる。
なぜ「文系学部出身で業務未経験からプログラマーになりたい(新卒ではなく)」
が難しいかを私が分解すると以下のようになる。

"文系学部出身"…プログラムについての知識がなさそうと思われてしまう

"業務未経験"…指示を理解して作業しかつ、エラーが出たときはエラーメッセージ読んで(英文を読まなければならない)プログラムを完成させるなんてできるのか疑わしく思われる

このようにすれば、なんとか「努力の方向性」や採用面接のアピールポイントを定められそうではないだろうか。以下のように。

"プログラムについての知識がなさそう"…実際に「動く」アプリケーションを作り、見せてみる

"指示を理解して作業し"…前職での経験をアピール

"英文を読まなければならない"…アプリケーションを作る過程でエラー文を読めるようになりました、と話し実際にどう解決したか説明する

、とこのように難しい問題を分解、切り分けて対策できるようになればあなたの人生は楽になるはずである。
そうなることを祈っている。

最後に

筆者はあまり法学部出身者のメインストリートを歩んでいない。
具体的に言うと、多くが就職する官公庁や金融系企業で働いた経験は0で、今ではシステムエンジニアなぞをやっている。
つまりアウトロー(法(law)学部を卒業(out)した者かつ、皆が歩む道を歩まず、歩めなかった)というわけだ。色んな意味で。

もちろん条文を仕事で読む機会などさっぱりであるし、裁判に関わる経験もない(犯罪をしていないからね)それでも、
日々ソースコードという、よくわからないけど何か意味があるんだろうと思われる文章を読んでいる。そう書くとまるで条文のように思えてくるのが不思議である。

そういった文章はよくわからないから、予想しないはたらきをもたらす。
エラーを起こしたり、解釈をどうすべきか悩ましかったり。

そのような問題に向き合う体力は、法学部でつけたのだと私は思う。
だからこの文章を書いた。

高校生(そうでない方も)諸君は興味が出たら、もっと法学部について調べてほしい。私以外の人の話をきいてほしいと切実に願う。あの頃の私ができなかったことを。
それに、私のことを疑ってほしいと思う。

「疑うこと」、それこそが物事に真剣に取り組んだという証左であるからだ。

以上







何かに使いますよ ナニかに