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追想2022

仕事

個人事業主になったのが一番大きいだろう。

なったのは3月からで、今ちょうど確定申告について嫌だな嫌だなと思っているところである。

職種はプログラマーとかシステムエンジニアとか、まあそこらへんである。
世間では専門職とか技術職とか言われているそうである。

去年の9月から、その"専門職"になったわけであるがとんでもない道のりであった。
専門用語(セッション、キャッシュやパラメータなど)ばかりで最初は周囲の人間と会話すらままならない状況であった。

実際、なって1ヶ月半で急性ストレス障害のデビューまで果たしてしまった。
職場も悪かったのだが…。

乗り切れたのは今までの人生だって別にすんなり行っていなかったから、
「うまくいかないこと」には慣れっこだったのではないかと自己分析している。

「今日理解できなかったことをメモして、業後や土日に調べる」をひたすらやっていたな。

おかげで今では他のプログラマーにアドバイスを送る立場にまでなっている。

ただ、20代の健全な男性が送るべき、趣味や恋愛に打ち込む日々は犠牲になったことは否めない。
人生には後悔はつきものだということを今年学んだ、とは断言できる。

それ以外

卓球

6月くらいから新宿とか文京あたりの卓球クラブだかサークルに行き始めた。
月に200時間は労働せねばならない状況が改善された、という確信があったからだ(しかし8月は250時間働くことになり地獄を見ることとなる)。

卓球再開当初は己の不甲斐なさに毎日死にたくなっていた。
思ったよりレベルが高く、「一応近畿大会でとるんやしいけるやろ」という目論見は爆散した。

まさか28歳で「卓球ノート」をつけるようになるとは思わなかったぜ…
今では50%くらいの確率でメンバーに勝てるようにはなっている
(別にコーチでも何でもないので詳しくは書かない、書けないが…)

仕事も卓球も誠に遺憾なことに、人と向き合わなければいけない。
他人を見て弱点を見抜くことが私には必要だった、とだけ書いておく。

そのためには他人と目を合わせなければならない!

他人

どうやら、他人と目を合わせられないやつは真っ当な人間とは思われないらしい、と知ったのは今年のことである。

義務教育課程でそう指導されたのかもしれないが、私が育った和歌山県は教育不毛の地である上、人の話をきけない私のことである。

28歳まで知らなかった。

つまり今まで私と話していた人々は、
「身長185cm越えの陰気臭い男が、相手を全く見ずに奇妙なことを喋っている」
そのように思っていたかもしれないのである。
えらいこっちゃ。

うむ。今までの人生何とか生き残ること(受験や仕事)ばかりにかまけてきたので少しは人と触れあうことをした方がええんやろうなあ。

夏ごろにナンパ師とかになってるかもなあ。

みなさんへ

今年は大変だったよなあ。
ともあれ、生きているということは次があるということだ。『次』の景色を皆さんにも見てほしい、と切実に思う。

最後にイカした歌詞を紹介して終わります。
来年もよろやで!!

I've been lonely,the light was gone

(私はずっと一人で、光も周りには見えない)

when nothing was right

(正しさも見当たらない)

Every worry and trial become

(だからこそ、どんな心配事も嫌なことも)

a story in life like a treasure found

(手に汗握る冒険物語に思えるんだ)


『A Page of My Story』_アニメ『プリンセス・プリンシパル』エンディングテーマ_より(和訳は筆者による)

以上

何かに使いますよ ナニかに