陽の当たらぬ場所で
同期の家で当時は合法だった葉っぱで遊んでいると、1歳上の先輩がやってきた。
鍵を掛けずに寝ていたら、全く知らない酔っぱらい連中が家に押しかけてきたらしい。
全く国立大学の近くにあるまじき治安である。
先輩は、それはもう悲痛にその悲劇を語るがおかしくなっていた同期と私はヘラヘラ笑うばかり。
「どうしよう、もう家帰れねぇじゃねえか」
彼はため息まじりにマルボロに火をつける。
イカれ泥酔集団から逃れ、合法ハーブパーティー会場にたどり着いた彼は心底安堵していたようだ。
ここはヘヴン。
2010年代初頭。私の周囲はそんな様相だった。
色んな方法で金を作っては、やれることはやり、それでもどうにもならないことに直面などしていた。
冬のある日、法学部の必修科目のテストに私は消しゴムを忘れ、絶望しながらも合格した祝いで、このパーティーが行われている。
パーティーといっても、私、部屋の主の同期、もう一人のギャンブラーの先輩だけでダウナーの魔力にハマるだけだったが、酔っ払い不法侵入を食らった先輩がそこに加わる。
同期の家は鍵がかかっていないゴミ屋敷と化したアパートの1室。
電気を止められた、連れ込んだ女と本命がかち合ったとかで自宅に戻れない連中はここにやって来ることが多かった。
電気代を月に1000円ほど払えば部屋の主も許してくれる。
ひとしきり、各自ラリったり頭を抱えながらも1時間半は経ったところだろうか。
散歩がてら1kmほど離れた24時間営業のスーパーマーケットで酒やら菓子を仕入れようとなった。
帰ってきてから、改めて4人で葉っぱを燃やしてダラッとしようやという算段。
午前3時になっていたが帰ろうと言い出す者はなかった。
追い出された先輩はすっかり怯えているし、私は自宅にネズミが出没していたからね。
予定の埋まっていない日々の気楽さ、明日に何も待っていない学生たちは高台にある大学近郊から、スーパーへの坂道を下る。
玉入れギャンブルで2万円ほどあぶく銭を手に入れた私が会計を終えると、他の3人どもは
「散歩でもするか」
と言い出した。
日本海側の街だ。
現在は11月。もう少しすれば長い長い冬が始まる。
いや、南国生まれの私にとってはもう十分寒かった。
寒いばかりではない、季節が変わればこの街はずっと曇りか水分が降ってくるかである。
小春日和に優雅に散歩できるような土地ではない。
「散歩」などというささやかな娯楽でも、もう気軽に楽しめなくなる。
おそらくそんな考えがあったのだろう。
いや、「考え」なんてものはなかった気がする。
ラリっていたのだから。
やはり葉っぱが判断能力に影響を与えたのだろう、スーパーからの帰り道、我々は迷った。
「ここを曲がればあの道につながって、何分ほどかかる」といった思考ができなくなっており、誰も彼もが適当に歩く。
当然、迷う。
もう4人とも精神年齢は5歳くらいではなかっただろうか・・・
そうこうしていると、風が強くなってきた。
北日本の海沿いの風だ。
凍死するのでは、くらいに思えてきたので我々は大学に侵入することにした。
とはいえ、建物はこの深夜に空いてはいない。
そこで、もう使われていない屋根付きの喫煙所で一休みすることにした。
「あの葉っぱ、どうだった?」
「一昨日7万北斗(パチンコ)で買ったからバイト減らすべ」
「マジこの辺治安悪い」
など思い思いに話していた気がする。
口を開くたび、風が体内に入ってくるので黙っていたほうがいいのだろうが、沈黙には意思が要る。
だらだら喋る方が"ラク"なのである。
そして、あの頃の我々に"意思"などなかった。
皆、口には出さなかったが就職も大学の試験もどう向き合えばいいかわからなかったのだ。
そこそこでやり過ごすのか、究めるのか。
4人ともそれをわからずに、この、冬には陽もささなくなる地で辺り一帯の汚れを集めたような喫煙所に迷い込んだのだ。
こう考えたのも、ラリっていたからなのだろうか?
20分ほど頭を冷やして、同期のゴミ屋敷に帰ることとなった。
もう自宅で寝たい気持ちもあったが色々買ったものがあるので、運ばねばならない。
そしてさっきのような、暗い考えが浮かんだので私自身はもうフィーバーできそうもなかった。
だが、結局「帰る」と切り出せる根性もないのだ。意思がないから。
大学の敷地を横切ると、戻れるので駐車場を通りかかった。
人影があったので警備員かと思い、一瞬隠れる。
だが、制服独特のパリッとした感じの服装ではないようである。
よく見ると、4人御用達のパチンコ屋でよく見るオバはんである。
彼女の所有らしき、軽自動車の横で両腕をリズミカルに動かしている。
ピンときた。
マットレスを畳んでいるのだ。
もう少ししたら、彼女がもつ薄ピンクの布を後部座席に敷くのだろう。
情景を描写するとするなら、この記述で問題はない。だが、4人は気が滅入るのをそれぞれで感じていたと思う。
そのオバはんは50〜60代で、いつも、本当にいつ何時でもパチンコ屋にいた。
「ええ歳こいて何をやっているのか」
「あんな老人にはなりたくない」
4人の軽口のネタに、彼女はしばしばなっていたのである。
それが
まさか
車上生活者とはね。
ネタにできないとはこのことだった。
葉っぱは我々の体質には合わないようだった。
私と同期は3日、他の2人は2日ほど寝込む結果となった。
私は、体が動くようになるとネズミ用の罠を購入して、1年ほど切れっぱなしだった蛍光灯を買った。
オバはんの影がちらついて、いてもたってもいられなくなったのである。
酔っ払いに不法侵入された先輩は現在JRで働いている。
他の2人も騙し騙し社会に溶け込んでいるようである。
あの日を境に私はギャンブルから遠ざかったので、オバはんがどうなったのかはわからない。
しかもこの社会情勢である。
ただ、今度遭ったら缶コーヒーぐらいはあげてもいいくらいには思っている。
それぐらいの成長はできたと思いたい。
何かに使いますよ ナニかに