「いいね」は本当にいいのか

いつもの記録とは別に、月に2回ほど「自分にそれは必要か」というテーマで短めのエッセイを書くことにしました。

こうしていつも書いた記録を載せるnoteや自分のSNSの類に「スキ」や「いいね」や付くことはある。だがその数は殆どが1桁である。たまにインスタが2桁前半の数字が付くけれど、それでも少ない。そもそも載せているのが文字だけなのが殆どなのだから、それ以外の自分の画像だのどこかに行った風景だのを載せても「いいね」なんて付くのは少ない。書いた言葉がバズることもない。その言葉だって綴り方がおかしいということもある。そして自分の属性故のこともある。そんなだから、自分の言葉なんて載せても読まれないことが殆どなのである。

最近は記録や詩に関して、インスタに10日分載せても反応が鈍いからTikTokも使うことにしている。これはたまたまであるが、先月に行った「刑務所アート展」の模様を撮ったものをアップしたら延べ3万回は観られたようだ。3桁ほど「いいね」も付いている。だけど自分は当然だがインフルエンサーではないので100万1000万ビューもないし、よくそのような人たちが書籍を出すと付くような「SNS総フォロワー数○○○万人!」となるようなこともない。ブックマークの意味で「いいね」をする人も少なくないが、そもそも自分は「いいね」が欲しいがためにSNSをしているのではない。

属性のひとつで言うなら、自分は左派だ。よく自分のSNSのタイムラインにも左派的なアカウントの言葉や、引用で付いてくるような右派的な言葉も流れてくる。ただ右派的な人間の言葉は、まともな右派の人たちに申し訳なくなるようなヘイトや差別発言が溢れている。まぁ左派にもどこかおかしい人間がいるのは見ても分かるのだけど、しかし今はどちらにしても発言力が強い言葉を持つ人が力を持っている感じもする。今の自分のスタンスとして、そのようなものをリポストなりするときは慎重に考える。

そしてもうひとつ自分の属性で言うなら、ゲイであることもそうだろうか。「いいね」に関するムーブを挙げるとするならば、それにも触れなければいけないだろう。とかく今はゲイであると言っても決して一括りにはできなくなってきた。体型とか趣味嗜好的なところでさらに細分化される。ジムだの行っていないと爪弾きにされるような感覚もある。

併せて今はSNSに堂々と自らのセックスや持ちモノを晒すことも少なくない。今もFans系であるような行為を晒してお金を稼ぐという手段も増えてきている。それが加わるとリポストも「いいね」も数が変わってくる。そしてそこからつながりが増えていくこともあり、いわゆる「コラボレーション」も出てくるとさらにそれは増していくし、追いかけたり課金したりする人も多くなる。それらを見たいがためにフォロワーになる人もいるだろう。正直自分にはできないことだ。アダルトビデオでもないのに自分の性行為を出す勇気などこれっぽっちもない。本音は羨ましい。だが自分はできないしクソリプや晒しに遭うから、これだけは密やかにしておきたい。

そして「いいね」の数やフォロワーの数でマウントを取ってくる人間も少なくない。自分はフォロワーよりもフォローしている人のほうがどのSNSでも多い。そして勝手にヒエラルキーのピラミッドに当てはめられて、自分でも自覚はしつつも、最下層のようなところに置かれると人間不信になる。そうならないようにがんばれよって言われても、前述のように自分は「いいね」欲しさにSNSをやっているわけではないのだから、ただ自分の生活をさせてもらいたい。

「いいね」欲しさに自分の生活を疎かにはしたくないのだ。


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