続東京で生きるのだ
資金が出来て いざ東京 憧れの東京 夢の東京。私は取り敢えず3日間東京のホテルを予約して その間にアパートを借りる予定だった。
なぜかお茶の水のビジネスホテルにチェックイン。そのホテルにも迷い迷ってようやく行き着いた。人に道を尋ねても「この白い道をまっつぐ行ったらよ」てな感じで私にはホワイトの道をまっつぐ???でどゆこと?だった。
何せ35年ほど前の事 携帯電話もなく 連絡と言えば公衆電話のみだった。
どこに住むともなく出て来たので まずは不動産屋を探して歩いた。当時のお茶の水 不動産屋ってあまり見当たらない。
上京初日は空振りに終わった。
明日仕切り直そう!
翌日も不動産屋を探し回ったが 家賃が想像以上にバカ高かった。2日目も空振りだった。
明日見つからなかったらヤバい イヤな予感がした。3日目の朝 私は視点を変えて 学生が多い街に行ってみようと考え なぜか早稲田に向かった。早稲田は学生の街で 不動産屋はたくさんあった。しかし学生でもなく 無職の人間に貸してくれるアパートなどない事を痛感した。それでも必死で探し回って ようやく部屋を貸してくれるであろうアパートを紹介してもらった。立地は早稲田駅から徒歩3分 走れば1分 風呂無しトイレは共同 家賃33000円也。不動産屋のおばさんに連れられて 見学した。アパートと言うより 下宿荘だった。
その名も大友荘。大きな家の一室を間借りする感じだ。一階に大家の婆さんが住んでいて 2階が5部屋くらいありトイレは1つ 洗い場は昔の学校の手洗い場のように長く 水しか出ない水道の蛇口がずらりと並んでいた。
部屋の中はと言えば 引き戸をガラガラ開けるとすぐに畳半畳はどの板場に水道の蛇口がひとつ 古いタイプのガスコンロが1つ その向こうが6畳の和室 何故か床の間があり
天井には裸電球が1つ。 7月の茹だるような暑さに汗が止まらなかった。 不動産屋のおばさんが窓を開けて 「涼しいねー」と言った言葉に一瞬イラッとした。
私も贅沢を言える立場じゃない とにかくここに住む事を即決した。
敷金礼金で18万が飛んでいった。
ようやくアパートが決まりホッとして翌日神戸に戻った。そうまだ誰にも東京に住むとは言ってないのだよ。
神戸に戻り友人には話した。皆応援してくれた。いざ東京に出立の前日に 家族に話した。
それもちょこっと東京に行ってくるねって。
続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?