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昭和・平成・令和時代を駆け抜けたプロレス界のスーパースター、武藤敬司が、2023年2月21日をもって引退いたしました。
オイラの誕生日が1962年12月19日、武藤は12月23日と4日しか違わないため、昔から勝手に親近感を抱いています。
ちなみに、山崎一夫高田延彦三沢光晴も同い年です。

さて、武藤敬司がプロレス界の稀代のスーパースターであることに異論はありませんが、猪木信者のオイラ的には、それほど感情移入できるタイプのレスラーではありませんでした。
その理由としては
・すぐに思い出せるような名勝負が少ない。
・ハイスポットではなく「間」を駆使した試合リズムがもどかしい。
・ハードヒットな打撃を使わない。
・試合中にキレない。
といったところでしょーか。
猪木や中邑、飯伏のように、プロレスの試合を逸脱しそうな「危険な匂い」
というモノが武藤にはまったく感じられませんでした。

一方、プロレスの範疇での自己プロデュース能力、咄嗟のひらめきによる瞬間芸的な演出術は、世界一といっても過言ではないかもしれません。

それでは、オイラの記憶に残る武藤の名勝負・名場面のいくつかをご紹介。

▼ 6冠王者になったときの全身にベルトを巻いたイデタチに驚愕。
腰に3本、両肩に2本をたすきがけ、残り1本を首に巻くというセンスが秀逸。後に馬場元子氏に怒られたらしい。

▼ 文字どおり東京ドームが「揺れた」世紀の一戦。vs 高田延彦。
オイラは休暇を取って、アリーナ席20列目くらいで観戦していました。

▼ 新日正規軍からnWoへのまさかのヒールターン。
黒いロングタイツ姿がカッコよかったです。

▼ グレート・ムタ vs 新崎人生 のキワモノ対決。
人生が持ち込んだ卒塔婆を強奪して、人生の額を叩き割り、流れ落ちる血を指ですくって卒塔婆に「死」と書いてしまった。罰当たりなムタ。

▼ ファンからの人気はナンバーワンだったものの、現場監督の長州は「橋本推し」であったため、なかなかメジャータイトルが取れなかった武藤が、ついに新日本の頂点に立った、第5回G1クライマックスでの雄姿。

▼ 師匠のアントニオ猪木との唯一のシングル戦では「やったもん勝ち」とばかりに、3回にわたる毒霧噴射、そして事前にスタッフに指示して試合中に会場照明を落としてしまうという暴挙に出る。
試合内容ではなく「猪木への忖度なし」で「猪木越え」を果たした・・・のか?

うーん、やはり猪木信者の感覚では「やっていることが小さい」感は否めないんですが、その性格、佇まいから、どーしても憎めないキャラクターなんだよなー。
もし、ジャンボ鶴田と同じリングに立っていたら、なかなか面白い「作品」が残せたような気がします。

なにはともあれ、39年間、おつかれさまでした。
バイバイ、ジーニアス!


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▼IMFORMATION
● 月イチ定例やまぼうしライブ
  ※2020年4月から当分の間、中止とします
会場 コーヒー&ギャラリー やまぼうし   
住所 静岡市葵区辰起町8-17 電話054ー271ー1602
料金 500円 (ワンドリンク付き)
▼参考リンク
BLUES和也のSoundCloud
GarageMihoのYouTubeチャンネル旧ブログ「だからPA屋なんですってば」のアーカイヴ
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