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人生のラストチャンスはいつだろう?

2010年に今の家に引っ越したとき、すぐに「置き薬」の営業の人が来た。
私はいなくて夫が対応し、「常備薬あったほうが安心やから、頼んだで」と言う。

私の実家では、子どもの頃から「置き薬」をやっていた。今回の製薬会社とは違う会社だったが、「置き薬文化」のようなものには馴染んでいたので、なんの抵抗もなく受け入れた。

今、「置き薬」をしている家庭って、どれくらいあるんだろう?
専用の薬箱に、風邪薬や頭痛薬、胃薬、絆創膏など、「あったら便利」な種類の薬がもともと入っていて、使った分だけお金を支払うシステムだ。
もちろん何も使わなければ無料。
一年に3回くらいのペースで担当の営業さんがやってきて、薬箱の中をチェックし、使用期限が迫っているものを交換したり、新しい薬を入れたりしてくれる。その時に使った分のお支払いもする。

これが案外便利で、以前は飲みすぎで胃がもたれた時など胃薬を使うことがよくあったし、この間夫が風邪をひいた時も風邪薬を買いにいかなくて済んだ。
なくてもいいが、まあ、あったら便利。置いておくだけならお金もかからないので、私はこの「置き薬」システムを気に入っている。

そんなわけで、この家に引っ越してきてから14年近く、ある製薬会社さんの「置き薬」を利用している。
毎回来るのは同じ営業さんだ。
実は、最初に見た時はちょっとびっくりした。
髪型がものすごく派手な人だったからだ。金髪に近いブリーチした髪色で長い髪をツンツンに立てていた。歳は30代後半くらいだろうか。
趣味でパンクロックでもやっているのかなと思った。いつも同じ香水の匂いがした。
1人で車で担当地域をまわるので、上司の目もないし、気楽な仕事だという理由でやっているのかな、とまで考えた。
それくらい自由な雰囲気の営業さんだった。

と言っても、仕事はきちんとされる。
いつも玄関先で対応するのだが、薬箱をチェックしながらいろいろ世間話をふってくれるし、コミュニケーション能力もある。
一度も嫌な思いなどしたことはなく、むしろ興味津々だった。いろいろ聞いてみたくてたまらなかった。(ライターの職業病だ)
しかし、意外に隙もない人で、おしゃべりはするが、個人的な話題を私に振らせるような隙は見せない。
いつも「もしかして、ロッカーなんですか?」とか「趣味で音楽やってるんですか?」とか聞きたいと思いながらも、聞けないまま月日が流れた。

先日、また薬箱チェックの日があり、営業さんがやって来た。
いつものように世間話をしながらチェックを終えると、営業さんが言った。
「実は、今日でこちらにお邪魔するのは最後になるんですよ~。次回から別の担当に代わりますので」
「えっ、なんでですか?」
担当地域が変わるのかと思ったらそうではなかった。
「会社を辞めることにしまして」

まさか、いよいよ音楽を本気でやるとか?
今日こそ聞けるのか、私!!行け!!

「辞めてどうされるんですか?」
「外回りもこの年齢になるとしんどくて、去年の夏にそれを実感したんですよね。それで、ちょっと知り合いから声がかかったので、内勤の仕事に変わろうかと思いまして」

音楽デビューじゃなかった。
でも、「この年齢になると」って、まだそんな歳じゃないだろうに。少なくとも私よりは若いはずだ。
「いや、そんなお年じゃないでしょう。今おいくつなんですか?」
「57歳です」
「えっ!見えないー」
思わず心の声が出た。
マジか。そんな歳だったのか。ずっと年下だと思っていたし、今聞いて改めて見ても57歳にはとても見えない。そんなパンクロックな頭をした57歳もいるのか。

「内勤って、またお薬関係ですか?」
ここぞとばかりに質問攻めにする私。
「いや、全く違うんです。畑違いでも内勤の仕事をやってみることにしました。57なんで、たぶん転職するなら、これがラストチャンスだと思うので」
「でも、お薬の知識がせっかくあるんだから、お薬関係のお仕事は考えなかったんですか?」
「ドラッグストアで働くことも考えたんですけど、土日休めないのは辛いですしね」

そんな感じの会話がしばらく続いて、最後は「お世話になりました。新しい職場でも頑張ってくださいね!」とエールを贈り、帰るのを見送った。
ドアを閉めた後、営業さんの香水の匂いが玄関に残っているのを感じながら、ああ、結局音楽をやっていたのかどうかは聞けなかったなぁと思い返していた。

「営業さん、転職するんやって。ラストチャンスやからって」と、夫にこの話をすると、「ラストチャンスって、ほんまのラストやなぁ。57歳やろ?」と言う。
確かにそうだ。
たまに「何かを始めるのに年齢なんて関係ない」という言葉を目にすることがあるが、私はそうは思わない。もちろんいくつになっても新しいことを学び、チャレンジするのは素晴らしいことだし、70歳でも80歳でも成功している人だっている。
ただ、自分が50歳を過ぎて病気にまでなってみるとつくづく思うのだ。年齢はともかく、まず「元気でなければ何もできない」と。それに、やはり年齢を重ねれば、体力や記憶力も落ちるし、新しいことを学ぶのには時間と労力がかかる。それを凌駕するような気力や忍耐力があればいいが、なかなかそんな人もいない。
つまり、やっぱり何かを始めるのなら、若いにこしたことはない、ということだ。

と言って締めくくると何の夢もない話になるので、もう1つ語っておくと、私の同年代の友達は45歳を過ぎてから新しいことを始めて、うまくいっている人が結構いる。
念願だったバーをオープンした人もいるし、校閲者の資格を取ってフリーランスの校閲者として書籍の校閲をバリバリやっている人もいる。会社員ではあるが、大学に通って勉強を始めた人もいるし、派遣やパートで働いていたのを辞めて契約社員としてフルタイムで働き始めた人もいる。
また、たとえパートであっても、長年勤めて慣れた職場を辞めて、もう少し条件の良い職場を探して面接を受け、見事に採用された人もいる。まったく畑違いで研修などが大変なようだが、50歳を超えていても、まだ新しいことを学んで働こうという姿勢が素晴らしいなと感心している。昨年末に会った友達も「新しいことを始める準備中」だと話してくれた。
みんな45歳、50歳を過ぎてからのチャレンジだ。

だから、「何かを始めるのに年齢は関係ない」というのは確かに一理あるのだ。まずは健康であること、そして、本人に強い意志とやる気があることが前提だけれど。
私のまわりはそんな感じで、50歳過ぎても新しいことをやって頑張ろうという人がまわりにたくさんいるので、もし何かやろうかどうか悩んでいる人がいるのなら、ぜひチャレンジしてみてほしいなと思う。成功するかはわからないけれど、やったほうが後悔しないと思うから。それに、新しいことをやるって、いつだってワクワクして楽しいから。

さて、私はどうしよう。
できないことが増えすぎたけれど、年齢のせいにも病気のせいにもしたくはない。
とりあえず、今年はエッセイ本の出版だ。それ以上のことはたぶんできないし、逆に言えば、それさえ叶えられれば満足だ。
新しいチャレンジ、ひとつでも頑張りたい。
「置き薬」の営業さんの「ラストチャンス」の話を聞いて改めて思った。

そういえば、営業さんの話がもうひとつ。
成人式の日に北九州の名物になっているド派手な衣装の成人たちをテレビで特集していた時に、リーゼントやツンツン頭の彼らを見てふと思った。
あの営業さん、もしかして別に音楽をやっていたんじゃなくて、単なる元ヤンだったのでは……?
最初に見た時に「あれはロッカーやで」「音楽やってるわ」と夫と盛り上がったので、それ以来14年もそういう目で見てきたが、「元ヤン?」と思い始めたら、だんだんそうとしか見えなくなってきた。香水の匂いも然り。
第一印象ってすごいなぁ。
今では「音楽やってるんですか?」なんて聞かなくてよかったと思っている。あれは絶対「元ヤン」だったという確信すら出てきている。
ただ、営業さんのラストチャンスがうまくいくように、それだけは心から祈っている。

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