見出し画像

不思議だけど、体も心も元気になっている。

検査結果が悪く、来月早々に治療を開始することになってから、ちょっと不思議なことが起こっている。

不思議なこと。
簡単に言えば、「調子が良くなっている」ということだ。
病院から帰ってから痛みが減った。ゼロになったわけではないが、この間まであんなに辛かったというのに、かなり普通に生活ができている。食欲もある。体調が良い証拠に、痛み止めの薬を飲む量が半分に減った。
おかげで日曜・月曜と秋田へ出張取材に行ってきたが、その間も元気に過ごせた。移動時間は長く、取材も朝8時半から16時までお昼休憩もないままの長時間だったが、平気だった。
16時過ぎにようやくごはんにありつけて、ドライブインで普通に「親子丼」を注文したら、そこが結構「がっつり系」のお店で、鶏肉1枚が使用された親子丼がどーんと出てきたが、完食。
一緒にいたカメラマンと営業さんが「絶対無理やと思った」と言ったが、味がおいしかったこともあって食べきることができた。こんなに大量の肉を一度に食したのは何カ月ぶりだろうかと思った。

うん、まだ死なないな。
もうすぐ死ぬ人間が鶏肉1枚使った大盛り丼を食べきることはできないだろう。7時間以上ぶっ続けで取材もできないだろう。
夫が東京出張でいなかったので、車でのお迎えもなく、最寄り駅から重い荷物を持って20分近い道のり(上り坂!)を歩いて家まで帰れた。
うん、大丈夫。

取材も無事に終わったし、最後の晩餐ならぬ、最後のお酒も秋田の夜に楽しんだ。と言ってもほんの少しだけど。
治療が始まったらお酒は飲まないつもりなので、当分はさようなら。でもいつかまたきっと元気になって、おいしいお酒を飲んでやろうと思っている。

最後に飲んだのは「天の戸」

強がっているわけでなく、こんな感じでなぜか気持ちも体も元気なのだ。少なくとも病院であの結果を聞く前よりもはるかに。
別に開き直っているわけではない。とにかく久しぶりに痛みから解放されている時間が増えて、それだけでとても生活が楽になっている。不思議だ。


今日はここからはちょっぴりスピリチュアルな話。
(※そういうことに嫌悪感があるという人はここで読むのをやめてください。逆に、好きな人には興味深い話だと思います。)

2019年の夏にガンが再発して抗がん剤治療がスタートした時、私は他にできることは何でもやってやろうと思い、ガンに関する本を山ほど読んだ。その中で気になったことは生活の中にどんどん採り入れた。
ある日、「サイモントン療法」というワードが気になり、調べてみると神戸にあるクリニックが検索であがってきた。その院長のブログを読んで、直感的に「ここに行ってみたい」と思い、すぐに電話をかけて予約をとった。

私が時々「セカンドドクター」と呼んでいたのが、このクリニックの院長だ。そして、そこで看護師をしていたN先生(女性)に出会う。N先生は看護師のほかに、ストーンヒーリングや瞑想の先生もやっていた。
院長にも瞑想を勧められ、それから毎週、院長のカウンセリングや高濃度ビタミンC点滴の後で、N先生から瞑想の指導を受けた。
それは8ヶ月続き、私が抗がん剤の治療を中止した後すぐ、この院も卒業した。ただ、N先生との関係は続き、時々LINEでやりとりをしたり、一緒に瞑想をしてもらったりしていた。

昨年11月にもN先生からあるお誘いをいただいた。それはN先生のストーンヒーリングの師匠であるマリアさん(オーストラリア人だ)が神戸に来るので、他の数人と一緒にセッションを受けませんか?というものだった。
実は私は数年前に、間接的にというか、電話でマリアさんとお話したことがあり、そこで命を救ってもらったことがある。(これについては書くと長いので、また別の機会に)
お会いしたことはなかったので、「ぜひに」とその会に参加した。命を救ってもらったお礼も言いたかった。

私の他に3名と一緒に、マリアさんのストーンヒーリングを受けた。
100個くらいはありそうなたくさんの石をテーブルに置き、自分が聞きたいことを思いながら石を選ぶ。選んだ石(実際には石を通して伝えてきている“何か”の存在)からのメッセージを読み取って、マリアさんが教えてくれるのだ。
私は4人目だったので、何を質問するかずっと考えていた。「商業ライターの仕事を続けるべきかどうか」と「ガンが進行していくなか、化学治療を受けたほうがいいのかどうか」。この2つのどちらを聞くか、もしくはうまく1つにまとめるかを悩んでいた。(質問は1つと言われていたから)

私の番が来た。すると、私が質問する前にマリアさんはこう言った。
「質問が2つあると思いますが、1つにしなくても大丈夫です」
びっくりした。心を読まれたかのようだった。
「あ……、まさにそれを考えていたところです」と伝え、それからたどたどしく、2つの悩みを質問した。
ライターの仕事は好きだが、商業ライターとしての仕事に嫌気がさしていて、もっと自分の書きたいものを書きたくなっていること。でも、通っている鍼灸の治療費などもあるので、稼ぐためにはライターを辞められないこと。夫は高給取りだし、私のためにいくらでも使うから治療費くらい出させてほしいと言っているけど、どうしても受け入れられないこと。ガンの進行が止まらず、それに伴って痛みが強くなってきて日々辛いこと。化学治療を受けようかとも思うが、ライターの仕事もできなくなるし、これまで自分の自然治癒力を信じて自然療法でやってきたのでそれを貫きたい気持ちもどこかにあること。
そういうぐちゃぐちゃになったおもいをすべて吐き出した。

それから言われた通りの数の石を選んで手に取った。
すると、マリアさんはまずこう言った。
「化学治療を受けたいなら受けなさい。自然治癒力がどうとか、どうでもいい」
びっくりした。普通、こういうスピリチュアルな人って、「あなたの魂がどう」とか、「心が変われば自然に治癒するはず」とか、そういう意味のことを言って化学治療など真っ向から否定しそうなのに。

私が戸惑っていると、こうも言った。
「あなたは旦那さんにとても残酷なことをしていることがわかっていますか?」
「え…。残酷なこと?」
「旦那さんはあなたのための治療費を出したい、あなたが元気になるために自分ができることをしてあげたいと思っている。でも、あなたがそれを拒否している。それであなたが治療費を稼ぐために苦しんでいるのを見ている。もしあなたがもっと悪くなったら、旦那さんは後悔します。もっとあなたに何かしてあげたかったと苦しみます。してあげたいのにできないなんて、そんな残酷なことがありますか?」

目からウロコだった。
これまで私が治療費だけでなく家計に関しても夫とは折半することにこだわってきたのをまわりの友達もみんな知っていて、中にはあきれたように「もうダンナに頼ったらいいやん」「別にお金持ってるんやから出してもらったらいいやん」「病気なんやから甘えたっていいんちゃうん?」などとたしなめてくる人もいたが、心は全く動かなかった。
でも、「残酷なことをしている」という言葉で目が覚めた。心が動いた。初めて夫の立場になって考えてみると、涙が出そうだった。

それから、「あなた自身というより、まわりの人があなたに対して求めてるものが大きい。あなたはそれに対して応えられる力を持っている。もっとあなたは自分に自信を持つべき。ライターもやめたければやめればいい。自分が書きたいものを書きなさい」という意味のことを言ってくれた。
それを聞いて、なんだかとても気持ちが楽になった。

すべてがつながったのだ。
まず家に帰って、夫にこれまでのことを謝り、これからは治療費や生活費などを出してもらうと言った。夫はめちゃくちゃ喜び、「俺が全部出すから。かおりはもう何もお金の心配はしなくていいから」と言ってくれた。
だから、もうやりたくない商業ライターとしての案件は受けないことにした。収入は減るが、その分、時間はできる。その時間を「書きたいものを書く時間」にあて、エッセイ集を出すことにした。あとは「酒蔵萬流」だけだった。10年続けるという目標だけは達成させたかったので、次の2月の検診の後、よほど良い結果でもない限りは4月から化学治療を受けようと思った。
全部つながって、全部答えが出たのだった。

その後、N先生のところへ行き、一度だけ瞑想をした。私ひとりだったので、いろんな話もした。
ただ、私はN先生を心から信頼しているけれど、ひとつだけ腑に落ちないことがあった。それは「痛み」についての考え方だ。
私は「がんが進行するにつれて痛みが強くなっている」と考えているが(これが普通の考え方だと思う)、N先生は「痛みには意味がある。メッセージがある。それを読み取ることが大事」と繰り返す。
この日は少し私も意地になって「ケガをして血が出たら痛みますよね?私の痛みはそれと同じです」と言い返したが、N先生はそれを真っ向から否定するわけでもなく、穏やかに「痛みには意味がある」ということをいろいろな言い方で説明してくれた。
私はどうしても頷けなかったし、初めてN先生に不信感のようなものさえ抱いて、その日は帰った。

だけど、先週病院で結果を告げられ、化学治療を受けると決めた後から、私の痛みは和らいだ。気持ちも楽になった。「スッキリした」「ホッとした」とこの間書いていたのは強がりでも嘘でもないのだ。
マリアさんに「化学治療を受けたいなら受けなさい」と言われた言葉もよみがえってきた。
そうか、私はもう随分前から受けてみたかったんだな、と気づいた。
もう4年も一人で頑張ってきたが、何の効果も出ないので、何かを変えてみたかったのだ。もう今のやり方で進行を止めるのは限界だと感じていた。それが私の本心。本当の気持ち。
もちろん副作用など怖い気持ちはあるものの、「この治療を受けたらよくなるかもしれない」と、いつからか心のどこかで期待が膨らんできていた。なのに私が迷っていたから、体が「痛み」を通して教えてくれていたのかもしれない。「受けたいなら、受けなさい」と。

こういうことは何が正しいかとか、信じる・信じないの話ではない。
私自身に起きたことをそのまま書いているだけだ。
治療を受けると決めてから、痛みはやわらぎ、私は元気になった。
単にそういう事実があった、という話。

1日にN先生に会うことになっている。これも偶然だが、治療前に会っておけるのがありがたい。
そこでこの事実を話し、痛みの論争について謝ろうと思っている。
やはりメッセージだったのかもしれない、と。

何にしろ、今私は元気だ。
仕事の区切りもつけ、気持ちも前向きで新しい治療に臨める。
「不思議な話」はこじつけや偶然かもしれないし、そうでないかもしれない。
こういうことはどっちでもいいのだ。
占いでもそうだけど、大事なのは、自分が「良くなるかどうか」ということ。気持ちが楽になったり、道しるべになったりするのなら、何でも信じればいいし、祈ればいいと思う。
神社や寺で掌を合わせる、お守りを買う、パワースポットに行く。全部同じこと。

私はいろんなことがつながって、楽になった。とにかくそんな状態で、来週から治療が始められることがうれしい。
もう良くなるイメージしか湧かない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?