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大人のままごと?人類のDNA?私がキャンプを好きな理由。

私がキャンプを始めたきっかけは、「自然の中で酒を飲みたかったから」だ。もともと私と夫はバーベキューが好きで、キャンプを始める前もよく近くの川原へ行って炭をおこしては食材を焼き、ビールや日本酒を楽しんでいた。そこには徒歩でも行けるが、荷物が多いと大変なので車を使いたい。でも、車だと飲めない。どうしたらいいかと考えた時、「泊まったらいいんちゃう?」となった。

旅行も好きだったので、車で遠くまで行ってキャンプをしたら、観光もできて一石二鳥だとも思った。キャンプなら宿泊料金が安いから、気兼ねなくいろんなところへ行ける。なんと素晴らしいアイディアかと、小躍りした。

そうと決まれば、テントやランタン、シュラフなど、必要なものを買わなければならない。ネットで探し始めると、これがまた楽しかった。キャンプブームになった今ほどバラエティ豊かではないにしても、いろんなメーカーの個性的なキャンプギアがあったからだ。それを調べて、ひとつひとつ吟味して、自分好みのものを買って揃えていくことに喜びを覚えた。

「きっかけ」はそんな感じだが、「なぜそんなにキャンプが好きなのか」と問われたら、理由を2つ思いつく。

1つは、「ままごとの延長」という考え方。私は子供の頃、ままごとやリカちゃんハウスが大好きだった。つまり、架空でも「自分の家をつくる」ということに子供の頃から興味があったのだ。

現実でも、一人暮らしのマンションや、結婚してから買った戸建ての家で、家具や調理器具、器など、自分の愛するものたちでまわりを固めていくことは幸せだったが、一通り買ってしまうとそんなに買い足すものなどない。それが、キャンプギアを揃えるようになって、また「家づくり」ができるようでわくわくした。大人になって、こんな「ままごと」みたいな遊びができるとは思ってもみなかった。

キャンプが好きなもう1つの理由は、「気づき」があるからだ。普段の生活の中では考えないようなことに気づく。

たとえば、「焚き火が好きだ」と言うと、「火を見るのって落ち着きますよね」などと返されるのだが、確かにそれはそうだとうなずきながらも、「火を見ること」より私は「火をおこすこと」が好きなんだと思ってしまう。最初の頃はチャッカマンやライターを使っていたが、途中からファイヤースターターと麻紐をほぐしたもので着火し、拾ってきた小枝などから火をだんだん大きくしていく作業がたまらなく好きになった。便利なものがたくさんある今の世の中で、なぜこんな原始的なやり方で火をつけているんだろうかと思う。でも、それが楽しいのだ。

たとえば、キャンプ場によっては「ゴミ持ち帰り」のところがある。そうすると不思議なもので、ゴミがあまり出ない。生ゴミや紙くずは焚き火で燃やしてしまい、瓶、缶、プラスチックやビニールだけにして、ぎゅっとまとめると、ゴミを回収してくれるキャンプ場の時よりずっとゴミが少なくなる。「やれば、できるんやん!」と思う。また、自分が日常生活の中でどんなにゴミを出しているかということにも気づく。

それに、キャンプは案外忙しい。テントの設営から始まり、薪拾い、水汲み、火おこし、料理、洗い物、寝床の準備、撤収など、やることがたくさんある。食べて寝るだけなのに! それなりに設備の整ったキャンプ場ですらそうなのだから、人間って本来、「生きる」だけでこんなに大変なんだと気づく。「生活すること」の大変さに気づく。

自然の中で美味しいものを作って食べて、地酒を飲んで、焚き火をしながら夫とおしゃべりをする。時には観光まで楽しむ。そんな当初のキャンプの目的は果たせているけれど、それ以上にキャンプで得られたものは多い。何かこう、人が生活することの原点を探っているような、そんな気分になるのだ。そしてそれが楽しいと思えるのは、古代から連綿と受け継がれてきた人類のDNAなのかな、とも思ったり。

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