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LGBT法案について感じていること

今までほかのところでブログを綴っていました。何となくnoteって良いなって思って乗り換えてみたはじめの一歩!な投稿になります。

早紀といいます。歩み続けて半世紀を過ぎました。半世紀を折り返しとした場合、小学校入学。ピカピカの一年生的な今です!そして、トランスジェンダーです。戸籍は男性ですが、容姿と心は女性です。

LGBT法案について感じていることがあってちょっと綴っておこうかなと思いました。当事者としても感じる違和感なのかな。。。。。。

『LGBT』って括りで差別禁止って。どうなのかなぁ。差別はダメですよ。でも、人権とか権利って考えたときに、マイノリティだから、云々かんぬんってなんだか違う気がして。じゃ、マジョリティの人権とか権利ってどうなっちゃうの?みたいな。

以前から思っていることがあって、土俵に上がっているのは『LGBT』っていうセクシュアルマイノリティで、その土俵の上、マイノリティの頭上を飛び越えて、東と西のマジョリティが、あーでもないこーでもないって言っていて、で、あたしたちはどこ?なぜここに上がっているの?みたいな。少なくともあたしはそう思っているのです。

みなさんも、ここ数年聞きなれてきた言葉だと思うんですけど『SOGI』って言葉。セクシュアルオリエンテーション(性的指向)とジェンダーアイデンティティ(性同一性・性自認)。好きになる相手の性は誰なのかと、自分は何者であるか(心の性)といった答えであるアイデンティティ(同一性)。   このSOGIって考え方で行くと、マジョリティも含まれるから、認め合いやすいのかなあと。

つい最近、耳にした言葉『SOGIESC』(ソジエスク)。性はとてもグラデーション、境目がないってことを表現した言葉みたい。

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ハートのバロメーターの位置は人それぞれってことね。画像は、あたしの場合。 好きになる相手の性は? 心の性は何? 表現する性は? 体の性は?って感じで、自分を、相手を認めやすくなるなぁって感じた。この考え方を目にしたとき。

それに、この考え方をフレームワークにすれば、マジョリティとかマイノリティとかじゃなくて、『その人』として、それぞれの個性を認め合えるような気がしています。

トランスジェンダー女性、まぁあたしですね。ホルモン治療はしているものの、性別適合手術は受けていないし、この先受けるつもりもないの。だから、戸籍的には男性だし、いわゆる生殖器は男性のまま(機能はありませんが)。でもね、性自認は女性。アイデンティティ(同一性)って、自分が認めているだけでは駄目だと思っていて。「自分は何者であるか」の答えがアイデンティティだと思っています。なので、そこに乖離があっては誤解を招いてしまうし、他者を不快にしたり、恐怖を与える可能性があると感じています。

画像で紹介したように、性自認は女性、表現する性も女性。あたしに出会った方々(過去を知らない人)のほとんどは、あたしのことを、女性として認識します。名刺交換などで男性名を見て、驚かれることが多いです。温泉が好きで、ちょっといいホテルのフロントで温泉露天風呂に入るための、女性用暗証番号を手渡されたりすることも多々あります。でも、当然入湯しないですよ。裸になれば同一性は無くなってしまいますから。女性からしたら、恐怖でしかないですものね。男性用の温泉に入るときも気を付けます。脱衣場で、あたしを確認した男性が慌てて、飛び出して行ったりすることもあり、ご迷惑をおかけするので、一般の方がほとんど入湯しないような時間を狙って、ゆっくりと楽しんでいます。

ですので、よく耳にする「あたしは(俺は)性自認女だから、(ぶら下がっているけど)女湯に入れろ!入れないなんて差別だ!」なんて、当事者は絶対(言い切っていいのかなぁ。。。あたしはに訂正しようかな)言わないし、そんな行動取らないですよ。人として、人権や権利を認めていますから。

差別はあってはならないです。それは、マジョリティにも、マイノリティにも。少数派は人権や権利が侵されやすいことは十分に分かっているつもりです。でも、これはマジョリティとマイノリティってフレームで思考するからではと。そうじゃない、フレームワークで認め合えるといいなぁって感じています。


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