苦手について

苦手なことはみんなある。
ない人ももしかしたらいるかもしれないが。

例えば、食べ物。
苦手な食べ物が多い人、少ない人。

私は野菜やきのこ、貝類など、小さいころは苦手だったけど
食べられるようになり、今では苦手な食べ物はほぼない。

それはなぜかと考えてみる。
給食で、少々無理してでも食べていたから、慣れてきたとか?

母などに、食べなさいと言われて従って食べてみるうちに、慣れてきて美味しく感じるようになったから?

それとも、全くそんなふうに、言われて頑張って食べるという事をしていなかったとしても、
大人になったら自分で食べてみて
美味しいと感じるように味覚が変わるのだろうか?

それは実験出来ないことなので、わからない。

苦手な理由にもよるし。
食わず嫌いなのか、少し嫌いな味なのか
、アレルギーがあるとか、体質に合わなくて食べられないのか、感覚過敏で食感が無理とか。

頑張らせる方がいいのか、頑張らせない方がいいのか、頑張らせようが、頑張らせなかろうが、結果は同じなのか?

子育て、という程のレベルでもなく、
毎日そこに悩む。

そこに悩まない人の方が、親としてはハッキリブレない、子供にとって頼れる存在なのかもしれない。

でも私はそこはちゃんと見極めたい。
それで悩まなくなったら、思考停止だと思う。

でも本当に、そこが難しい。。

障害、という診断を長男が受けた時から、この悩みが余計に深くなった。

障害ですといわれたということは、
苦手な事が、根性論の努力ではなんとかなるものではありません、と言われたということだ。と思う。

生まれつき、できないので、そこを変えようとしない方がいいと。

しかし、この子が苦手だと言っていることの全部が全部そうなのか??

やってみたらできる、あるいは少し頑張ればできる、あるいは周りの人のサポートや、道具などの環境を変えればできる。はたまた、時期が来れば、勝手に出来るようになる。等

ほんとにほんとに苦手なこと、不可能なこと、やらせるとよくないこと。

苦手だと思ってるけど、やらせたら、出来る事。

やり方がわからないから、教えてほしいと本当は思っていること。

やらされることで 逆に嫌いになったり、苦手意識がついてしまうこと。

そういう様々なバリエーションがあって、それを感覚で見極めていく責任の重さが時々私には耐え難い。

例えば、学校のプールの授業。
うちの子達は、プールが好きな子だった。二人とも、2年生頃までは。

3年生ぐらいから、学校のプールが汚いから嫌、と言い始めた。虫などが浮いている。
あと、曇りや雨の時にも入らされたことにより、水が冷たすぎて嫌、寒かったなど、嫌なイメージに変わっていったようだ。

さらに、地面を裸足で移動させられる事への抵抗、着替えを早くしないといけない、見られたくない、など気になり出したら嫌なことがたくさん。

これらの経験は、長男は強迫性障害のような症状にまで発展してしまった。

次男はそこまでではないが、今無理させると兄と同じようにならないとも言い切れない。
でも一方で、実際にそんなに気にすることはないと励まし、入ってみれば、元々の好きな気持ちが勝る可能性もある。

どこからが本当に無理、なのか?

考え続け、見極め続ける。

でも、最近思うのは、やっぱり無理してやらせても、無理というほどではなさそうで、励ましてやらせても、
結局やらされた本人が思っていたら、同じなのかな、という事。

逆に、ちょっとでもやりたくないことはぜーんぶ避けて、逃げて、やらなくていいよ、と言われたとしても、やっぱりやりたくなるときは来るかもしれない。

その時は自分でやるだろう。
自分の決断だと自覚するだろう。

考えながら書いているので色々ごちゃごちゃしてきたが、今までの考えからわかってきた事。

私は、親の対応としては、やらせるべきか、やらせないべきか、そこで悩んで、自分にかかる責任の重さに苦しんだいたのだが、
本当はそこを悩む必要ないのかも。

やるかやらないかは本人が決める。

私は、決めるための情報提供、自分だったらこう考えるなどのヒントだけ、見せてあげる。
そして本人が決めた決断は尊重する。

それだけでいいのかも。

とは言え、小学校なんて、義務教育なんて、やらされていることだらけ。
そもそも、教える大人の側が、やらされることに慣れさせないと!
と考えている。
やらされる訓練みたいな場所。

勉強というものも。
そもそも、勉強とは、やらされるものではない。勉強って生きる上で生まれる知りたいという欲求により、知ること、知ろうとすることの全て。

でも、学校に行ったらそれは課題、やらされる事、やらなければならない事、の自動変換される。

それは仕方ないことだけど。

やらされることでも、それをやると自分で選んで、自分の意志で、やろうと決めてやっている、
という意識を、あえてしないと、うちの子には、どうしてもやらされていることに抵抗を感じてしまうのだと思う。

そんな事まで考えて、行ってる子は居ないだろうけど…

うちの長男はここまで話さないといけないような子だ。

次男はそこまで話すのがいいのか、
そこまで話してもまだ理解できないだろうし、とりあえず、今は出来るだけ本人の気持ちを自分で言えるように、ちゃんと聞いて、言えたらそれを
尊重していこうと思う。

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