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デザイン1000例、集めろ!

こんにちは。
いま、絶賛『勝てるデザイン』の巻末ワーク、勝てるワークに取り組んでいます。

養成ギプスに参加したいと思っているので、3月末まで全部のワークを実施してnoteに書き上げます。


今回のワークを通して、自分は自意識過剰だと実感しました。人のことだと「気にしなくても良いじゃん。あなたのことなんて周りはそこまで気にしてないよ」と思っているのに、自分のことになるとだめですね。
自分がどう見られているかが気になるのだから、他者のことに関心はそこまでない。それは自分も、周りも同じ。
自分の他者への関心の薄さから、人の視線なんてあってないようなものだとわかっている、はずなのに。
すごいって思われたいわけではなくて、変な奴・駄目な奴・何気取ってんのって思われたくない。そこに気をとられて、行動が制限されているのはもったいない。

え、初っ端から何の話?

一旦この話はおいときましょう!


02 デザイン1000例、集めろ!

何がいいデザインか、何が悪いデザインなのかを知るために
街中にあふれるグラフィックデザインを無作為に大量に集める。
写真を撮ってPinterestに保存していく。
自分の生活線上にあるもの、その後ネット検索をする。

意気揚々と、デザイン集めを始めた。思った以上に家も、街もグラフィックデザインがある。というより、身の回りのものは全て、デザインされたグラフィックだったり、小さくともそれが付随していた。
パンのパッケージ、ジャム瓶のラベル、保育園の連絡ノートの表紙、洗濯洗剤のラベル、服のタグや値札、保育園に掲示されたポスター、駅のポスター、電車内の広告、街中のポスター、商品ラベル、新聞チラシ、ダイレクトメール等…目につくものは大体グラフィックデザインだった。

意識する、ということのすごさ


意識をすると目に入るのに、意識しなければ目に入らない。
「無い」に等しい。

たくさんの情報があるので、遮断するのは当然。全てのデザインからメッセージを受け取って、選択肢を増やすのは疲れる。
「デザインを見つける」という課題を通して意識に入ってきたデザインを、それまで私は気にもせず意識もせず、興味もひかれなかった。

こうゆう時に、この動画を思い出す。

初めて見た時に鳥肌がたった。
視野が狭く、1つのことしか見えない私は大抵がこの状態。(恐ろしい)
自分がこの状態の中にいて何がみえてないのか気付くのは難しいので、私はこの状態が存在することを忘れない様にしている。(忘れるけど)

私だけでなく、他の人も意識をしていないことは見えないはず。

いしき【意識】
①認識し、試行する心の働き。感覚的知覚に対して、純粋に内面的な精神活動。

広辞苑

内面的な精神活動で、物に対する認識を存在をさせたり無にしたりする。そんな人の生活の中で、デザインは機能的であり、感情に寄り添ったり、好奇心を掻き立てたりするものなんだなと思った。

興味を奪う、ということのすごさ

BUMP OF CHIKINのボーカル 藤原基央氏は「俺たちのことを見つけてくれてありがとう。みつけてくれた君たちはすごい。」ということを言っていた。
「いや、いやいやいや。すごいものを届けてくれてるんだから、すごいのはあなたたちでしょ!!!見つける側がすごいなんて、ないわい!!!」と、中学生の私は思った。彼のその言葉は、5歩で予定を忘れる私なのに、今もまだ覚えている。

前田さんは『勝てるデザイン』の中で、勝てるデザインとして興味を奪うデザインを挙げている。

美しく、かっこいいデザインは人の目を奪います。が、いまは良いデザインがたくさんあふれていますから、それだけでは足りません。
ポイントは「企画と届け方」です。

興味を奪う、多くのデザインに埋もれてしまわない「無視できない何か」を仕込むことで他と差を作る。

きっとその仕込みを考えている時に、届けたい相手のことを頭から煙が出るほど考えるに違いない。意識しないと無きものにされるから、相手の感情を揺さぶるために色々試行錯誤する。
その時に、届けたい相手へのリスペクトを忘れてはいけないのだと思う。「こうゆうの好きなんでしょ」「意図的に仕掛けをしているのだから、気になって当然」ということはない。
企てを、思いやりと尊敬を込めて行う。だからこそ、興味を奪うデザインができる、のではないか。

私の自意識過剰で被害妄想の、すごさ

意識してデザインを探すようになり、グラフィックデザインをたくさんみつけていたが、Pinterestの画像はすぐに増えなかった。
それは、外で見つけてもなかな写真が撮れなかったからだ。

外出先でスマホを構えてデザインの写真をバシャバシャ撮ることが、初めはできなかった。恥ずかしいのか、何撮ってるんだろって思われるのが嫌なのか、勝手に何撮ってんだよって怒られたくないのか、変なやつだと思われるのが嫌なのか、「デザイン見つけた!」と思っても人目が気になって撮れなかった。
なかなか立ち止まって写真を撮ることができない。

自分がこんなにも周りを気にしていたんだな、と再確認した。
どんな風に受け取るかわからない人がたくさんいるというのが怖い。気持ちを逆なでしたくは無いし、勘違いして変な絡まれ方をしたくない。
妄想がひどい。
そんな自分だから、SNSにばんばん発言するのも躊躇していたんだと気づいた。起きてもいないことを不安に思い、それを言い訳にして行動できない、臆病者。
このワークをすることで、少し殻を割れたような気がする。そんなに不安になることはない、もっと気楽に、楽しんで、誰も気にしてないし、もし何か言われたって関係ない。

少しずつ、思えるようになってきた。
でないとこんなnoteを書けたものではない。

世の中の、自分の名前を出して発信をしている全ての人たちへの尊敬がまた深まる。田舎の片隅で不安で震えているのに、大人数に囲まれて仕事をしている人たちの強さに尊敬の念しかない。

デザイン収集に自分が写りこんでも、「まぁ良いか」と思えるようにまでなりました。雑になったものです。

そんなこんなで1000例を集めました。期限は守れなかったどころか大幅にオーバーしてしまった。もっと自意識を捨てたい。そんなものに縛られたくない。

自意識を捨て、こんなnoteでも見てくれる人に感謝と尊敬を。
ありがとうございます。

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