僕が仕事を辞めた理由

嫌になったから辞めた

何が嫌になったのかを上げていきたいと思う。

目標がないこと

飲食業界において、目標があるとすれば、

店長になること、スーパーバイザーになることくらいしかない。

僕は、店長になりたいわけでも、スーパーバイザーになりたいわけでもない。

もし仮になったとして、給料が上がる以外にメリットはない。

仕事に関して考える時間が奪われる、責任が大きくなる。

店長になるメリットがない。この仕事が好きではないからだ。

じゃあ、僕がこの仕事を続けていたとして、何を満たして生きていくのかといえば、アルバイトとの信頼関係や他社員(まだ信頼してもらえる人たち)との関わりで、あなたじゃなきゃダメだという信用を勝ち取っていくために、小さな積み重ねをしていくことになる。

そこで僕は何をしなきゃいけないかというと、約束を作って、約束を守るということをしなければならない。話を聞いて、それを実行していかなければならない。それが仕事だからだ。

その内容はというと、適正な在庫管理を行うための指標、共有を行ったり、アルバイトの悩みや目標を聞いたり、仕事がしやすい環境づくりをしたり、それらのことを実行することだと思う。あとはクレーム処理や未然に防ぐための行動を考え、それらをアルバイトに伝達、徹底することだと思う。

でも、これって、どこに向かっているのかがわからない。自分のため?アルバイトのため?店長のため?会社のため?お客様のため?親のため?誰かを愛するため?生活のため?

店長になりたいのであれば、必要なことであろう。

お客様のためって思えるのであれば、必要なことであろう。この時点で、お客様の概念は不特定多数の人たちで、目の前のお客様と思えていないということがある。特に忙しさという面で、一人一人のお客様と向き合えていない、自分の行動が他者にどう影響しているのかの興味がないことについては向き合わなければいけないと思っている。

ごはんを作って、他人が美味しいかどうか、それで喜んでいるかどうかに興味がない。

生活のためって思えるのであれば、生活を充実させなければならないが、常に僕の頭の中は、仕事のことで埋め尽くされてしまう。なぜなら、他者評価によって満たされようとしているからだ。

会社のために働いたところで、報われる瞬間は、昇進だ。だが、昇進に興味がない。

愛する人がいたとしたら、その人のために働けていただろうか。多分、愛する人がいたとして、仕事で失う自己愛を、愛する人に委ねるだけで、決して満たされることのない日々が続いたと思う。

僕は僕が好きだ。自己愛を作り続けなければならない。他者評価によって満たされる自分は僕じゃない。自分で作りたい。

僕は、僕の世界に没頭したい。他者が作る世界に興味はない。

簡単にまとめると、目標がないこと。それによって満たされる条件が他者評価であり、そこに興味がないこと。

目的があれば、何か違う目標ができただろうか。

僕は、歌うのが好きだが、誰かに喜んで欲しい、すごいと思って欲しいと思って歌っているだろうか。

自分が今できないことに向き合ってできることに喜びや幸せを感じる。

そのペースを守りたい。他者にとやかく言われたくない。自分で気づいて、自分で直したい。そのために目標も自分で作るし、行動できる。したりしなかったりするけど、それも認めたい。

今までしてきた仕事はどうだろうか。

ペースは守れない。その場その場でお店が求めるものは日々変わっていく。

なぜならお客様がいるからだ、関わる人たちがいるからだ。

そういう人たちに向かって考えなければいけないし、言われなければいけないし、行動しなければいけない。

人のために働きたくない。自分のために働きたい。

自分が興味あることで、自分のペースで、できないことができるようになって、

それが他者に貢献できるようなことが僕の幸せだ。

釈然としないのはなぜだろう。

人間関係のことを恐らく、言い訳にしたくないからということもあるのかもしれない。たいていのことは人間関係に起因している部分もあるからだ。

あと、嘘をつかないといけないのも嫌だな。

自分が思ってないことを、ルールだからだと言って、伝えていかなければいけない辛さ、スムーズにことが運ぶように隠蔽した方がいいと思って隠してしまうようなことややらなくてもいいかなと思ってしまうようなことが多い。

隠し事はダメだという。ただ、隠した方がいいと思えるということがあるということが嫌だ。何でも報告連絡相談をしろという。でも報告連絡相談をすると、みんな怒っている。したくないよね。隠す。でもバレたら報告連絡相談しろと言われる。

例えば、お客様が怒っていた。感情って数値化できないから、どのように怒っていて、どのように変化するかわからない。

何に対して怒っていて、どうして欲しいのかはその時のその人の気分によって、

これから起きる出来事によって変わる。

そんな曖昧な目に見えない負の感情に向かう行動って、果たして意味があるのか。

あ、でも負の感情に寄り添うことは好きかもしれない。

例えば、怒った出来事の表面的な理由よりも、

その人が今までどう生きてきて、どういう価値観でいて、どういう経緯で、

今怒っていて、それに対してどう受け入れていくかを考えるのは楽しい。

嘘をついてしまいやすい自分でいることが嫌だった。

上司に好かれたい、気に入れられたい、事なかれ主義でいたい、平和主義でいたい。

嘘をつかず、正直にやったらどうだろうか。

問題って山積みになって、手に負えなくなる。いろんなことに気がついてしまうから。

まあ、いっかで済ませてしまう自分が許せなかった。

いや、まあいっかで終わらせてしまう自分を社会は許してくれないし、そんな自分がいたらダメだと思った。

嘘をつかないでいいような環境にいたい。


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