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他者、喧嘩、怒り、そして後悔について

最近、大の親友と喧嘩しました。

喧嘩と言っていいのか分からないくらい非常に一方的な報告から始まったが、私はその友達に言われた言葉に傷ついた。でも、出来る限り落ち着いて対応をし、距離を置くと言う方針で話を進めて言った。

価値観がぶつかり合い、お互いがただただ主張し合うという状態は全く生産性のない、時間と感情の無駄使いである。
そういった理由で、私は極力他者と「喧嘩」や「言い合い」をしないようにしている。自分の主張を投げ合うだけではコミュニケーションになっていない。関係がより悪くなるだけだ。ここ数年でそう実感している。

だから、相手が喧嘩腰になったと発覚した時に、私は話し合いを落ち着かせようと努める。でも、そううまくは行かない。コミュニケーションというものは2人以上いるから成り立つもので、お互いに「落ち着いて話そう」という意思がなければ、結局はヒートアップしたままの会話が続く。落ち着こうとしている自分も相手の感情的な言葉に傷つき、つられて感情的な言葉を返してしまう。その時この事実が分かっていても、俯瞰しきれないのがやはり感情というものである。

感情に罪はない。そして、感情的になっている相手、そして感情的になっている自分にも罪はない。自分が言う発言には注意をある程度しなければいけないが、後悔している発言をしたとしても、取り返しがつくことだってある。

それは、 赦す(ゆるす)ことである。

相手が感情をもっている人間であることを認めてあげること。

相手の価値観に納得しないことと、相手の存在を否定することは別のことである。価値観を否定されると嫌われたという気持ちになる傾向があると思うが、実際はそういうことでもないのだ。

もし、過去に誰かに何かを言って、後悔をしていたり、付け足したいことがあるのならば、一旦考える必要がある。

まずは、本当に後悔しているのか。

それとは逆のこと、または違うことを言っていたら、何か結果やその人と自分の関係に違いが出ていただろうか。いずれにせよ、どうなっていたかは計りしれない。

まだその人と話せる状態であれば、赦してあげよう。または、赦してもらおう。

それができなければ、もう前に進むしかない。いずれの道を歩んでいても後悔していたに違いないと信じるのだ。その時の自分の決断を信じてあげよう。その頃に持ち合わせていた情報量で出した決断だ。相手に限らず、過去の自分を赦してあげるのも、同じくらい大事なことである。
自分の発言や行動に後悔し、落ち込んでいた時にその大の親友が私にかけてくれた言葉である。


blue.

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