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とし総子&茉莉亜まり二人展@くうねるん 〜「場」を与えていただけるということ、ことばとともにあるということ〜

JR土山駅南から歩いて3分。
こっこさんのつくってくださっている「場」、くうねるんがあります。
「絵本カフェ」と冠しておられますが、音楽、朗読、落語、テーマトークなどなど、その冠にはとどまらない多彩なイベントが開催されています。

くうねるんさんのインスタグラムはこちら。

https://www.instagram.com/kunerun8?igsh=cmVibTlvZmxyZGZ1


くうねるんさんで7/24,25と、とし総子さんとの二人展で、店内に総ちゃんの詩と川柳とわたしの川柳がさまざまな顔をしてわんさとおじゃましています。お互いの個人ZINE、城水めぐみさん、総ちゃん、わたしの3人ZINE『mimoza』、奄美大島ご在住の高良俊礼さんとわたしの短歌・川柳・詩・エッセイ掲載ZINE『pico luna』も手にとっていただけます。


総ちゃん撮影の展示の様子

「場」を与えていただけるというのはほんとうにありがたいこと。ことばに出遭ってくださった方の生のお声をその場で聴くことができる。川柳の、倒置、省略、暗喩を含む十七音字の世界で???と迷子になる方にお尋ねいただけば、この句はたとえばこんな感じですよ、とお伝えできる。

いえ、すべてを「理解」していただかなくてもいいのです。まったく響かないことばはちゃっちゃと捨て置き、流してくださってよいのです。

でもそこに描いた世界に「なにかことばにできないけれど引っかかる。立ち止まってしまう。」となった方に、ちょこっと道案内、橋渡しをさせていただける。そのことがありがたいなと思うのです。

昨年から何度か展示をさせていただいていて、感じることがあります。それは、十七音字の世界に感じ入ってくださり、「これはわたしだ」と響いたり刺さったりすることばに出遭ってくださった方がお持ち帰りになるひと瓶一句の「ことのはこびん」や「ことのはボード」は、おおむね、そっとそこにしずかなことのはの記されたものであるということ。

そうですよね。こびんやボードは、暮らしの場にむき出しでおじゃまするのです。刺さっては痛いです。自身と向き合うことばをずっと見ていては苦しいです。

でも、刺さってしまったり、まるで自分わたしだ、と思うことばは忘れられない。なにかのとき、それはたぶんしあわせだったり平穏だったりのときではないと思うのですが、触れて刺されたり、ここに自身がいるのだと確認することで、自身をこの世に留めておける、そんな楔となることばにたすけてほしくなることがある。そこで思うのです。本という形態はよくできているな、と。

つまり、閉じると封印され、開くことで封印を解かれることばや世界がそこにあり、封じた形で傍らに居てもらえるのが「本」なのです。

ZINEではあっても、本の形になっているものをお持ち帰りくださった方々の顔が浮かびます。決して決して多くはありません。

でも、枕元に置いて、寝る前に開くという方がおられたり、以前手にしてくださった本を抱えて、また展示にお越しくださったりする方に出会うと、封印する形にしてお連れいただいていてよかったな、運命というとおおげさですが、ありがたい運命に恵まれたことばたちだな、と思ったりします。


きょう25日まで、くうねるんさんで総ちゃんと「場」をいただきます。

昨年から折に触れ「場」を与えてくださっている、詩人であり、40年以上カフェギャラリーあいうゑむさんを営んでおられる福永祥子さん、そのほかにもお二人ほど「場」をつくっておられるのが方がお二人、きょうはくうねるんさんにお越しくださるそうです。

蟬が鳴きはじめました。
さて、きょうをはじめましょう。



#絵本カフェくうねるん
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#とし総子
#詩
#川柳


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