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苦手な春と10年後の今年

この季節がとても苦手で、もう既に、どうしようどうしようって落ち着かないでいる。

ずっとそわそわした気持ちがあって、どうしたらいいのかわからない。
気分転換になるような趣味や娯楽とか、今まで好きで遊んでいたゲームとか、やりたいことは沢山あるはずなのに、「これ」と決めてすることが出来ない。
かと言って、じゃあ日常のことをする、と考えても何も出来なくて。

本当に出来ることしか出来ない。
普段なら多少無理していたり、誰かに気を遣ったりしていたことが、今は難しい。

今とは傾向が違うかもしれないけど、中学生の頃には毎年のように春になると胃痛と共に過ごしていた。
「新学期」という言葉が苦手。
社会人になってもそれは変わらず、同じ季節になると同じように苦しくなる。
「新生活」という言葉が苦手。
外へ出れば、買い物をすれば、お店に入れば、うっかり目にしてしまう言葉や雰囲気に、何故か気持ちがぎゅうっと苦しくなる。
外の暖かな空気の匂いを感じると、息苦しくなる。
周囲の人は、寒い冬が過ぎて暖かくなって気持ちも落ち着いてくる季節、と思うのかもしれないけど。
(花粉症のことは嫌だなと思うだろうけど)
この季節は自分にとって、前向きに感じるには程遠い。

特に今年は、東日本大震災から10年後の年で、節目で、色々な保証が終わったりして、色々な関連番組が組まれたりして、それらはそれらとして当たり前にあることで。
この地域に住んでいる以上、目にも耳にもしないというのは限界がある訳で。

きっと、震災関連の番組は普通には見れないと思う。
当時も映像が流れる前にテロップ等で注意書きがあったけど、被害の映像を見て思い出して怖くて辛くなってしまう、とかではなく。
映像を通して、そこに関係している人達の気持ちや心の動きが見えてしまうから。
10年の間に起きたことを振り返ったり、あの時はこうだったけど今はこうなっているという話をしたり、そういうのがもうダメ。
もちろん、震災自体を忘れたいとかではなく、起きたことや当時のことはむしろ覚えていたいと思うけど、いろんな感情を知るのは辛い。
悲しいとか切ないとか、懐かしいとか残念だとか、悔しいとかやるせないとか、嬉しいとか頑張ろうとか、そういういろんな感情全て。
今でさえもう、ネットニュースの見出しとかでうっかり見てしまうと、短い文章であっても容易に想像出来てしまうのでリンク先を見ないようにしている。
泣かずに見れる自信がない。

自分のこういうところが時に厄介だなと思うけど、今に始まったことではないし、気付いたらそうだった。
春に強くそう感じることが多いのが何故なのかはよくわからないけど、周囲の人の新しいことや変化に対する期待やそわそわした気持ちが、他の季節よりも強く感じる季節だからなのかなと思う。
それと同時に、周囲と自分を比較してしまうからなのかもしれない。

今年は、3月末くらいまでは特に気を付けて過ごした方がいいと思う。
なるべく他の人に同調や共感しないようにするとか、人は人だと切り離す努力をするとか。
普段から意識してそうなってる訳じゃないから、共感しない努力ってなかなか難しいけど。
自分が生まれた季節くらい、もう少し楽に過ごしたいね。

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